勝っちゃんのカモ追悼文

勝っちゃん(勝谷誠彦)が、カモちゃんの通夜に行った時の様子を、自身のメルマガに書いていた。

(前略)
焼香は始まったばかりだったが、17時にかなり遅れてしまった私は、会場の外に達していた行列の末尾に並んだ。最初は、椅子席に座っていた人々が、吸い込まれるように焼香台に向う。台が4つ設えられていたことでも、会葬者の多さがわかるだろう。

西原理恵子さんは祭壇の横に立ち、焼香を済ませて戻っていく会葬者に、一人づつ丁寧に頭を下げておられた。横には、男の子と女の子。あと二人立っておられるのは、鴨ちゃんのご両親だろうか。

男の子は10歳くらい、女の子は5つか6つ。良い読者ではない私はわからぬが西原さんの愛読者なら、きっとマンガを通じてよく知っているに違いない。
その二人が、会葬者が通るたびに頭を下げ「ありがとうございました」と大きな声で言うのである。
鴨ちゃんは、自分はあれだけ野放図な生き方をしているくせに、礼儀作法にはうるさい奴だった。いや、礼儀作法というよりも、ヤンキー風の先輩後輩ルールと言うべきかな(笑)。アシスタントとしてのその振舞いを、橋田信介さんは愛していたし、なぜかヤンキー好きな西原さんが、彼のそんなところにも惹かれていたことが、わかる気がする。

私は何か場違いな所にいるような違和感を感じながら、並んでいた。会葬者は、こんなに大勢なのに、どこかみんな知り合いであるようで、西原ファミリー独特の雰囲気が漂っていた。
同じ、出版界にかかわる身でも、私の周囲にいる人々と、鴨ちゃんたちのそれとは、どこか世界が違うのだ。そのことが、ここ数年私たちが疎遠になっていた理由であることを私は知りながら、直視しないできた。

自分だけ浮いた感覚のまま、私は焼香台へと吸い寄せられていったのだ。
焼香をすると、目の前で鴨が微笑んでいた。カメラマンのくせに、自分の遺影はずいぶんとピンが甘い写真だなあ、と私は呟いた。白い布で包まれた棺の中に、彼がいるという実感がどうしても湧かなかった。
あのアマゾンの太陽の下で、「朝からピンガ勃ち!」と叫びながら、文字通り朝からピンガをあおっていた鴨ちゃんが、二度と笑ってみせないということが、よくわからなかった。
たとえば、橋田信介さんや、奥山貴宏君の時は、塊のような悲しみが押し寄せてきたのだ。それがないことに、私はもっとも戸惑っていた。
橋田さん、小川君、奥山君か。私のまわりではまだ死ななくてもいい人が死に過ぎる。
そう、祭壇の供花のいちばん上には、橋田幸子さんの名前があったっけ。まるで、橋田さんにかわり、今でも鴨の面倒を見ているかのように。

焼香を終え、私は葬儀社の人に導かれるままに、右側へ退出した。
西原さんの前には、女性の会葬者がひとり立って、話し込んでいる。軽く会釈をしてその横を通りすぎようかと思った私の足は、なぜか止まった。女性が、立ち去ると、私は西原さんの前に佇立していた。何年ぶりだろう。彼女と話すのは。
西原さんはここまで極めて、気丈に見えた。黒い着物の喪服に身を包み、微笑みすら浮かべて、次々とやってくる会葬者に応対していた。
目の前に立っているのが私だとわかったときも、彼女は微笑んでいた。
けれども、次の瞬間だった。西原さんの目から涙が溢れ出たのは。
それは、文字通り溢れるとしか言いようがないもので、どうしたものかと私は動揺した。
「鴨の子よ、見てやって」
隣の二人の子供を指さして、西原さんは言うのである。私はしゃがみこみ男の子の手を両手で包んだ。涙が止まらなくなり、黒眼鏡を外し、腕で顔を拭った。
さきほどまでの違和感も、鴨ちゃんや西原さんに感じていた距離感も、なにもかもが吹き飛んだ。アマゾン河のほとりの集落で、3人でハンモックの上に横たわって、エロ話を延々としていた、あの時間が蘇った。
「ホンマにええ人やったんよ。最後はお酒も抜けて、ホンマにええ人やった」
何故か私に対すると関西弁になる西原さんも、昔のままだ。
「鴨と、もう一度呑みたかったなあ。どうして、誘わなかったんだろう」
そう言って、私は、アル中で酒を禁じられている鴨をおまえは誘うのかい、と、自分が言っている矛盾に気がつく。しかし、その発見は、私を笑いへと向けるのではなく、更にとめどなく涙が溢れ出るのである。

「あんたも身体に気ィつけてな」
西原さんは私にそう言った。自分の後ろに行列が出来かけているのを見て、私は頷き返すと、歩きだした。
「ありがとうございます!」
子供たちが声を揃えた。
どうにも涙が止まらない。実感がないなどと、なぜ私は感じたのだろう。

意外なものを見るような周囲の視線を感じ、私は帽子を取り出すと、目深に被った。そして、そのまま、立ち止まることなく、会場の外に出ると、怒ったような早足で、駅へと向ったのであった。
まだ沈み残っている太陽が、今度は背中に赤い光を投げつけてくる。近くをすれ違う人がいれば、嗚咽の声を上げながら歩いている男に、危ないものを感じただろう。
少し前まで会っていたひとを喪くすのは、辛い。しかし、会うことを怠っていたひとを喪くすのは、もっと辛い。
そんな当たり前の痛恨の中に、私はおかれていた。
少なくとも、鴨ちゃんに対しては、私は自分に正直ではなく、つまり、よく生きてはいなかったのだ。
ごめんな、鴨。
落ち着いたら、西原さんに電話してみよう。鴨の話をしながら、久しぶりに呑まないか、と。
(後略)

「勝谷と西原の関係」を気にしている我々昔からのファンにとって、これほど泣かせる文章もない。「アマゾン河のほとりの集落で、3人でハンモックの上に横たわって」いる三人が、今でも目に浮かぶようだ。勇ましい坊主姿であの西原を虜にしてしまった鴨志田穣。彼はもういない。

コラムの花道×勝谷誠彦

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