Twitterだと迂闊にネタバレは書けず、かといってこの気持ちをどうしたら…というかんじなのでとりあえずブログに書きます。
今週は、毎日泣かされることになりそうです。
先週の最後の最後に、夏ばっぱが自宅で倒れているのを大吉が発見。
その後の予告編がまた…もう心臓つぶれそうでした。
えてして人というのは、このように予告無く大病にかかったり、ある日いきなり倒れたりします。そしてその瞬間からいきなり、目を覚まさなくなってしまう。
周りは前日までの元気な様子を思い返し、「ああ、元気なうちにもっとちゃんと話しておきたかった。あれも話したかった。あのお礼もしたかった。もっともっと一緒にいたかった」などと後悔の念に苛まれることになる訳です。なんとかして1日前の、いや数時間前のあの時に戻れれば、一言だけでも感謝の気持ちが伝えられるのに…と。ひたすら悔しく思う訳です。
でも現実は、決して後戻りできない。
自分でも驚いたのが、ドラマの出演者である夏ばっぱに対して、それと同じような感情を抱いたことでした。
夏ばっぱが倒れることなんて、先週の最後の最後まで知らなかった。倒れてしまって、元気な姿が見れなくなってしまっている今、ああこんなことになる前に、ばっぱの元気な姿をもっとちゃんと観ておきたかった。何度も何度も観て、ばっぱの一言一言を、もっと噛みしめておきたかった。皆が元気だった、先週までのあの幸せな時間を、もっとちゃんと自覚して味わっておくべきだった。みたいな後悔の念が押し寄せてくるのです。
いかに自分が『あまちゃん』と共に毎日を過ごしているのか。思い知らされました。
(いやもちろんこの後のことは分かりません。きっと元気で戻ってくるんだよね。)
【本日(121回)のぐっときたポイント】
これは正確には前回:第120回のラストのシーン。
大吉からの「お母さん倒れた!」のメールを受けて
「どーせ嘘だから。気にしなくていいからね〜」と一蹴した(ように見える)春子。
その直後事務所にかかってくる電話。ソッコーで子機の受話器のスイッチを押すアキ。
でもそれよりもっともっと早く、一瞬でデスクの受話器を取り上げている春子。
どれだけ春子がこのメールに動揺していたか。
何の説明もせずに、動きだけで魅せる素晴らしいシーン。
※この直後に今週の予告が入るんだけど、改めて観てみると、予告の作り方も上手いよなー。これでもちゃーんと、サプライズを残しているんだよね、いつも。時間軸を自在に行き来しながら、1週間を巧みに数秒でまとめている。
オーディションに向かうアキと父と水口。立ち止まって「やっぱ怖ぇな」とつぶやくアキに、さらっと「やめるか?アキ」という父・正宗の口調が、優し過ぎず、かといって冷たくもなく厳し過ぎず、妙に印象的だった。
ずっとダメ親父のように出演し続けていた正宗だけど、なんというのだろう、これまでの出演のすべてが、このシーンを見た瞬間にぐるっとまとまって、なんかやっぱ良いパパじゃん、なんて思わせるんです。その後のアキのセリフ「オラには、夏ばっぱがついている」も、水口の「俺も、クビになって以来だよココ来るの」も良かったけど。一番ぐっときたのは正宗さんの演技だった。
病院で、弥生さんが歌いはじめた「いつでも夢を」。ユイちゃんが歌い始めるシーン。ベタな演出なんだけど、完全に観てるこっちは北三陸の連中と気持ちがシンクロしている。そりゃ歌うわな。ばっぱに目覚めて欲しい、なんとか起きて欲しい、その気持だけなんよ。
ところでオリジナルの『いつでも夢を』。
改めていい歌だねぇ。
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閑話休題。
最近読んだこの、もんじゅ君によりよる大友良英さんのインタビューは、震災と『あまちゃん』を巡るテキストの中で今のところ一番好きな文章かも知れません。ぜひ多くの人に読んでもらいたい。無くなるといやなのでまた後で引用させていただきます。大友さんも、そしてやっぱり聞き手としてももんじゅ君も素晴らしい存在です。
もんじゅ君の「ズバリ聞きますだよ!」第4回 –
→【前編】じぇじぇ!大友さん、『あまちゃん』は2011年夏の福島から始まっていた、ってどういう意味ですか?
→【中編】じぇじぇ!大友さん、『あまちゃん』にジャズやブルースを取り入れたのには、どんな背景があるんですか?
→【後編】じぇじぇ!大友さん、『あまちゃん』から「中央と周辺」の問題を考えた、ってどういうことですか?