カテゴリー: 本・雑誌

『美術手帖 〜女性達の美術史』

『美術手帖』2021.08
女性達の美術史
特集号
〜フェミニズム・ジェンダーの視点から見直す戦後現代美術〜

女性アーティストのみならず、女性キュレーターによるフェミニズム目線も多いに語られてる、芯のぶっとい特集。

『あなたのフェミはどこから?』発刊後のB&Bトークで安達茉莉子と話していた長島有里枝。
金沢21世紀美術館の高橋律子他2人との座談会で同館「フェミニズムズ」展の際、高橋とフェミニズムの認識の差が埋められずに二人のキュレーションを分けた経緯や、そのことの意義について語っている。

新潟を皮切りに開催された『Viva Video! 久保田成子展』を地道な調査と膨大なミーティングを重ねて実現した全国4人の女性キュレーターの座談会には、発起人である新潟近美の濱田真由美も登場。
天才ナム・ジュン・パイクを夫に持つことで不当に軽視されてきた久保田をその軛から外すための思いや、単館企画でない分担作業で、一般的な業務を超えた連携の様を読むことができて胸アツ。知り合いのパートナーであることだけは知ってた濱田さんを見つけ、買った当時驚いた記憶がある。

これに限らず先日の荒井良二トークでもキュレーターの裏話ってとっても面白くて、もっと読みたいなぁ。

他にも、1990年代のバックラッシュにより「フェミズム」「フェミニスト」というワードを右派男性がどのように利用して低レベルな「論争」とも言えない論争を起こし結果的にフォビアが醸成されその後否定的に捉えられるようになった経緯を解像度高く解説したコラムがあったり。

現代アートと女性の関係のみならず、フェミニズムそれ自体の歴史的推移や背景まで学ぶことのできる貴重な一冊。

野口理恵『生きる力が湧いてくる』

野口理恵『生きる力が湧いてくる』(百万年書房)読了。

秀逸なタイトルだ。読み終わって改めて思いました。

出版社「rn press」を主宰する筆者の自伝的エッセイ。
母親、兄、初の担当漫画家を自死で失った経験、離婚、子育て、自らの道を歩む(はたから見たら恐らく)少し個性的な彼女の、日常を綴る。

…的な様相で前半は進むのだけど、

半ばに、明らかに筆者であろう「N」のことを語る他人目線の小文がいくつか入り、様相が変わる。彼らはNのことを「秘密がある」「人を見下す」「心を開かない」「すごく怖い」と、エピソードを交えて語る。

この文章が本当にNの知り合いが書いたのか、それとも野口による「USO」なのか文中では明らかにされない(彼女の発行する雑誌『USO』は未読だがそちらを読むと明かされているのかもしれない)。

ただ、他人の目を通した語りによって、それまで一人語りだった野口の、その人となりがいくつもの片鱗をまとい、まるで読者の周りにいる「会社同僚の鈴木さん」や「大学生の同級生佐藤さん」のような具体性のあるビジョンになってくる。

一方で、Nは決して私達の周りの鈴木さんでも佐藤さんでもない。何故なら我々はすでに文章でNの心の内を深く覗いているから。
「人を見下す」「心を開かない」「すごく怖い」のは何故か。
なぜそのように「表面上」なってしまうのかが、前段の文章からよく分かるのだ。結果、作者の姿がより立体的に見えるようになっていく。

自伝エッセイなのに筆者を批判する文章が挿入され、その後にさらに筆者の「証言」が入り反論のようなものが行われるこの落ちつかなさも、本書の魅力だ。人から見られる自分とは、ということにも改めて考えさせられる。

自分は誰も自死で亡くしていないし、両親もそこまで不仲ではなかった。妻や娘それぞれがもつ症状や自分の特性が原因で辛い思いもあったがなんとか超えようとしている。筆者とは全然違う立場にいると思う。対極と言ってもいいかも知れない。

だけど、彼女の気持ちと自分のそれがクロスする瞬間が、いくつも立ち現れる。なんというかこれぞ読書!な醍醐味を味わっているように思う。

そして、自分が何故こんなに苦しみつつ稚拙な感想文を書こうとしているのかも、良く分からない。たしかに言えるのは、時間が経った後で自分のレコメンド文を読み返すのが好きであること。そして同じものを見聞きした人と感想を交わすのがとても楽しいこと。今はこのために書いている。できるならばもっとスムーズに、楽しく文章を書いてみたいものだが。

フェミニズムのトークイベントを企画しようと思っています。

昨年、ニイガタブックライト関連イベントとして内野で開催した安達茉莉子さんのトーク、そのとき会場に生まれた一体感や「出会えた」感が忘れられない。あの時間の余韻が、ずっと自分の中で続いていた気がする。

そのせいか、今年のブックライト関連イベントは自然と、フェミニズムをテーマにした内容にしたいと考えるようになっていた。

フェミニズム——この言葉だけで、強いイメージや反感、アクティビスト、一部の女性だけのもの……みたいな印象を抱く人もいるかもしれない。それくらい、歴史の中で何度も揉まれ、翻弄されてきた言葉だから。

でも今の自分の中で、フェミニズムは「世界の成り立ちを知るために欠かせないキーワード」だと感じている。もしくは「皆が生きやすい多様性を、世界に担保するために欠かせない考え方」か。

完全に内面化された家父長制の影響に気付かないまま、大人になっても中年になっても、ずっと生きづらさに苦しんでいる人たちを身近に見てきた。先輩や書籍のおかげで「自分が原因なのではなく、システムが原因だ」と気付けた後の解放も。


そう、この「解放」こそが自分にとってのフェミニズムだったし、安達さんのラジオや、あの内野での温度と、どこか繋がっているようにも感じた。だから今年のテーマも、自然にここに辿り着いたんだと思う。

そこに昨年登場したのが『虎に翼』だった。主催した「とらつばナイト」の解放感も忘れられない。自分は生来「壁をなくす」「壁が無い」状態を求めるマインドが強いのだということに、昨年少し気付き、自覚的になった。

周りにフェミニズムの話をすると、差別に「気付かせない」仕組みこそが、お互いの対立や誤解・差別感情を増幅させていることに気付く。そのせいで、フェミニズム自体が争論の対象になってしまうような、不幸な歴史も読んだ。

こういった話は、今自分達の周りで安易に行っても、人によって受け取り方が変わってくることがあるし、場合によっては対話がかえってお互いを傷つけてしまうことさえあるかも知れない。

だから、
どういうスタンスで、どういった人に向けてイベントを行うか、ということがとても大切なのだと思う。


今年の企画・方向付けについて、昨年のトークの企画者でもある @imoueeeee と、いつも関連する話題で話すことが多い @ruth_blackett_ に相談し、一緒に考えていた。取りようによってはセンシティブなテーマを、安心して話せる相手や場があるというのはどれだけ幸せなんだろうと、時間を持つたびに思う。

そんなこんなでいろいろアイデアを出していた中…
最近読んだ『あなたのフェミはどこから?』(平凡社)が、素晴らしい一冊だった。職業も立場も年齢も経験もさまざまな19人の男女が、自らがはじめて「フェミニズム」を意識し、出会った体験を語っている。どの語りもとても印象深くて、でも同時にとても個人的で、その人自身の感覚や出来事だからこそ、どうこう言う余地なんてない。これだ、と思った。どこか「医学町ビルナイト」の、(まるで生活史のような)自己紹介聞き取り体験にも似ていた。読んでいるうちに自分も語りたくなった。感想も話したい。

この本をテーマ・入り口にして話すのは、今回のイベントに良さそうだし、いくつかの懸念も払拭できそう、と昨晩2人に聞いてみた。

開催詳細はまた追って告知します。興味ある方はぜひ本も読んでみてください。書籍を買うのが少しハードルが高かったら、「ウエブ平凡」というサイトでも内容の多くが読めますので、そちらでもぜひ。

イベントは、6/7(土)日中に開催予定です。
人数は少なめになりそうですが、できるだけあたたかく、安心して言葉を交わせる時間にしたいと思っています。


『私たちには言葉が必要だ 〜フェミニストは黙らない』

イ・ミンギョン著/すんみ・小山内園子訳
『私たちには言葉が必要だ 〜フェミニストは黙らない』(タバブックス)読了。

自分を変えるつもりのないセクシストからの「聞いてやるよ。で、おれが判断するよ」的な質問に、苦労して答える必要はない。

明らかに存在する差別を、ないものと捉え勉強しようともしない相手に対し、懇切丁寧に解説をしてあげる必要もないし、その上自分の説明を「評価してもらう」必要なんてこれっぽっちもない。誰も頼んでいない。

そのことをハッキリと明言し、
セクシストに対峙した時のあの後悔を、あの苦しみを、言えなかったり躊躇したりした悔しさを、これから少しでも減らそうと書かれた本だ。

言わない権利だけじゃなく、どう言えば会話を断ち切れるか、そのメソッドについても具体的に書かれています。

自分が特権を享受する側にいることを認識せず「よかれと思い」発せられる言葉の、そのあまりの影響力の大きさ、罪深さを許さないこと。許さないための共通言語を確立するための本。

韓国で韓国の事情により書かれているので、訳の関係もあり時には少し「これは日本では難しいかも(通用しないかも)」と思える箇所もありましたが、基本は同じだと思う。

答える必要のない相手との会話のぶった切り方はもちろん、多くは
「セクシストに対峙している)あなたに会話を続ける責任はない」
ケースについて書かれ
「あなたに答える責任はないから安心して。」
と説く本書だが、後半で「これだけはあなたの責任」と書かれた部分が印象的。

特権を持つ立場にいることを悪用したいと考えているセクシストに対しては「断固阻止のアクションを起こしましょう」。

長々とやりとりする必要はありませんし、はげしい攻撃を加えなくてもかまいませんが、そのアクションだけは、あなたに課された最低限の責任です。ことばが正しいから力を得るのではなく、権力を握っているからことばも正しいことにされる状況では、権力にものをいわせた無知がまた別の権力を増長しかねません。それは、食い止めねば。(同書P.164)

つまり、あとに被害者を増やさない、連鎖を止めようということ。
これはあらゆることに当てはまるなぁと思う。

自分に内面化されている昭和男の家父長制意識、ルッキズム、インターセクショナリティをイヤというほど認識し辟易しつつ、でも想像することは不可能じゃない。まだまだ足りないけど。と思わされる一冊でした。

かめかし文庫に入りますが、ちょっと事故があり(鞄の中でお茶にまみれた)かなりボロボロでふわふわです。それでも良ければ。

zineを本棚でどう整理するか問題

12月の中頃に投稿した
「zineの整理どうする問題」

背表紙もなく判型も小さい大量のzineをどうやって整理する?見やすくする?
という悩み。

その時思いついた「レコードのように箱に入れて上からペラペラめくって見る」方法を
実践してみたよ。

問題は箱の調達なのだけど、(何故か我が家には)山ほどある小抽斗の抽斗を使ったらちょうど良かった。

B6にちょうど良い箱に、B6と最小のA6その他を入れて。
結構多いA5サイズにもぴったりの箱がありました。

この2つを本棚に入れて、適宜出して、上からペラペラする。
箱の高さも、ペラペラするには程よい感じ。
暫定zine棚完成!まだ結構入るよ。

他の人のzine棚も見てみたい。

野口理恵『自分のお葬式ハンドブック〜私が私らしく死ぬために』

野口理恵『自分のお葬式ハンドブック〜私が私らしく死ぬために』(rn press)読了。

葬儀への参列経験が多く、終活ライフケアプランナーの資格も持つ著者が、「自分らしい死に方を選ぶ」方法について書いているzine。(zineだということは読了後知った)

死にまつわるハウツーが端的に書かれていて便利なだけでなく、多くはエッセイで、読後感は能町みね子やメレ山メレ子に似てる。何だか分からないままに慣例で進められる葬儀のアレコレにちゃんと疑問を感じる姿が信じられるし、それでいて人の感じ方や選択の多様性を決して奪わない書き方で安心できる。あっという間に読めちゃうボリュームながら、得られるものは大きく、しかも気持ち良かった。

つまりお得で楽しくてさくっと読めて、自分の終活に対し気付きも与えてくる素晴らしい一冊。

途中で明かされるののだが著者が「葬式参列経験が多い」のは、家族を2人も自死で失っているということ。でもその壮絶な過去は作中でほぼ語られない。その上で自分の希望する死に方については淡泊に語られるところがなんとも不思議で、信頼できて、心地良い。軽やかでいて鋭い。

気になって調べたら出版社「rn press」を主宰されている方。家族の話も書かれたという新刊自伝エッセイ『生きる力が湧いてくる』(百万年書房)も気になる。


今作は冬のアカミチフルホンイチで久平文庫の兄弟にお勧めされて買った。彼らのレコメンドはいつも間違いないな…。


ちょうど併読していたカレー沢薫の『ひとりでしにたい』にも通じるところがあって(想像を超えるトンデモ傑作漫画なので後述)、あと同じく兄弟に勧められて勝った須原一秀『自死という生き方』(未読)を並べると、完全に
「死にたくてしかたのない人の本棚だね(by奥さん)」
なのだった。
(そんなことはありません)

『リンダリンダリンダ オフィシャルブック』

『リンダリンダリンダ オフィシャルブック』(太田出版)

書庫整理をしていて久しぶりに出て来た。山下敦弘監督のロングインタビューを中心に、描かれなかったアナザーストーリー等。

冒頭にたっぷりページを割いた東野翠れんによるキメ過ぎてないスチルが良い〜!

没になったプロットと経緯を読んでいると、(多数の人が関わる映画は特に)ほんの、ちょっと!の運や出会いなんかの違いで、傑作とそれ以外が分かれてしまうんだなぁ…と実感できる。

ジブリ以外に3〜4回以上も観てる映画って滅多にないし、長女は多分それ以上観てる、大好きな映画。ペ・ドゥナと香椎由宇、周りの皆キャストが素晴らしい。映画ファンで見たい方いたら是非。かめかし文庫にて。
続きを読む

橘もも『透明なゆりかご』

橘もも『透明なゆりかご(上下)』読了。

沖田×華の原作漫画を安達奈緒子(『きのう何食べた?』『おかえりモネ』)脚本によりドラマ化。その脚本を橘ももがノベライズ。

原作未読。ドラマも1話の半分しか観ていない。

すごく良かった。

清原果耶が産婦人科で働くドラマ、とだけ聞いて、勝手に生命の誕生・感動ドラマ系をイメージしていたら思ったより全然辛い話ばっかり。生まれるよりも病気や死んじゃう話ばかり。でも読後感は悪くない。
文体は多少ラノベ的というか何やらであまり自分向きではないが、やっぱ脚本が素晴らしいよ…

上巻は医院にやってくる女性達のエピソードが続くが、下巻になると主人公の生い立ちやスタッフさん達の背景に話が進んでいって話がどんどん加速していく。止められなくなりました。

しかし、ドラマから入れば良かった。
本書を少し読んでから中途半端にドラマを見始めたら、何だか劣化版の後追いみたいな印象になってしまい、結局ドラマは観ないまま途中で終わってる。小説は非常に良かったが、やはりこういうケースはドラマから入った方がおよそ加点法になって良いんだよなぁ。経験上。

この文庫は、冬のアカミチフルホンイチ で、POPがとても良くて買ったのでした。お店の名前は忘れちゃったけど、御喋り楽しかったな〜。またお店でお会いできるのが楽しみ。


安達奈緒子と言えば2027年松坂桃李主演で初の大河ドラマ『逆賊の幕臣』が決まった。大河はなんか体内時計と合わないというか、観続けられることがあまりないのだけど、これはちょっと楽しみ。現大河は、やっぱり吉原を取り上げるいうことに(1〜2話では)覚悟が見られなくて、ドラマはとっても素晴らしいのに、どうしても気が乗らなくなってしまった。


『あんぱん』見てます。久しぶりにリアル朝ドラ!

フェミのイベント企画会議

亀貝のバリスタカフェで、ご近所のとってもワクワクする話と、フェミニズム放談で数時間。
久しぶりに、周りのお客さんがどんどん入れ替わって、知らないうちに全員いなくなってるあの感じを味わった笑。

自分はどんな話を読んだとき、どんなエンタメに出会った時、知り合いのこんな言葉に出会った時に、エンパワメントされるみたい…て話をしたかったのと、ブックライト含め、これから関わっていきたいイベントとは…みたいな相談。じんわり良い時間だった。

センシティブな話題、政治的な話題を含めこんな風に安心して話せることって、実は稀少で大切で。またこうやって少しずつアイデア生まれていくといいなぁ。たとえばイベントで実際に集って話したいけど、話しきれないこと多いよね。からの素敵なアイデアとか、皆さんやっぱ凄い。

そんな貴重な時間に、資料として持って行くつもりだった本の詰まった鞄を、丸ごと忘れてしまっていた。笑

昨日話に出した本たちです。

最近自分の買ったzineを整理してて、結構な冊数になってることに驚いた。zineってオススメしてもされてもその時は既に入手しづらかったり送料のかかる通販しかなかったりして、それを少しでも解決するのが貸したりその場で読んでもらうことだったり、なのかな。

今までzineを貸すことは気持ち的に少し落ち着かなかったのだけど、読んで知られて続刊を買ってもらえるなら(現在入手困難な場合は)良いことじゃないかと勝手に納得させた。今なら著者に対して簡単にリアクションも送れるし。
だから、作るだけでなくzineを読むテーマで沈思黙読会やっても面白いのかも、って思った。

そうそう、4/20(日)開催の「本の海に潜る日(新潟版沈思黙読会)」も、まだ若干名大丈夫受け付けてます。興味ある方は私までDMください。



あと『仕事文脈 vol.25』の第2特集「ふつうに複業」は色んなケースの働き方や時間の取り方が書かれててめっちゃ面白いよ。皆興味がある内容だと思う。こんな風に今!な題材をキャッチアップするのがいつも上手で大好きな雑誌です。

スタジオジブリ『熱風』3月号より、歴史建物保存の意義について

スタジオジブリ『熱風』最新3月号


塚原あゆ子監督ロングインタビューはネタバレ全開なので(冒頭の鈴木Pとのやり取りは面白かった)鑑賞後にとっといて。

前川國夫設計・神奈川県立図書館の改修(’27完了)についての記事が読み応えあった。

1)役所の担当者
2)BACHの幅氏
3)彼のディレクションで改修前の撮影を担当した潮田登久子&サポートの島尾伸三(しまおまほさんのご両親)

それぞれのロングインタビュー。藤森照信氏も前川國夫の打ちっぱなしに関した短いコラムを寄稿。

この図書館でしか買えない図書館の写真集は是非見てみたい(幅氏がヴィネスパでもやってる一連のサイトスペシフィックなプロジェクト)。

しかし色々思うところが多かったのが、いかに前川建築であっても取り壊されてしまうことが多いという話。そして「経済的に計れない価値を説明して理解してもらうこと」がいかに難しいかと語る担当者。

そうか…そうなのか…。2度と作れない魅力のある建築物を残す意義を分かってもらうことは、やっぱりそんなに難しいことなのか。世界の別の場所に行けば当たり前でくどくど説明する必要もないほどの「意義」。が、伝わらない。これが地域性、国民性ってやつなんだろうけど。


旧齋藤家別邸の保存活動に参加した時を思い出す。恐らく少なくない人が保存には賛成してくれるが、予算を通せるほどまでに表面化されないというか実効化されないというか。
だからこそ、啓蒙の前段階で、子供の頃から当たり前に価値を知ってもらおうと、当時は「保存が叶ったら子供向けのイベントをやりたい!」と息巻いていたものだったね…全然できてないや。

政党の広報の方と話をしていてもつくづく思う。草の根の大切さ。これを忘れちゃいけないんだよな。

同記事では、図書館の意義、それも中央館(県立など)と市町村立のそれぞれの役割の違い、的な話になるほど〜。
ちなみに前川國夫氏は学校町出身だそう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

毎号楽しみな青木理の「日本人と戦後80年」。今回は角川歴彦氏。所謂「人質司法」にまつわる問題。
彼が東京五輪スポンサー選定を巡る賄賂容疑で7か月も長期拘留され、命に関わる持病の薬も飲めず、診断もされず、まさに「国による殺人」といっても全然過言ではない扱いを受けた、その内情。凄まじいですよ。え?これが本当に近代国家?と信じられない思い。

ウィシュマさん他、外国人の入管・留置での扱いは言語道断で今すぐになんとかしないといけない話だけど、これもう国全体の問題なんだね。

角川氏はこの件で国会賠償請求訴訟を起こしていて、ある意味遺言代わりに戦っていきたいそうだ。

映画『トワイライト・ウォリアーズ』感想

この映画については @ninnymoa が激推ししていたので前から知ってたのだけど、新潟の上映はTジョイの真っ昼間だけで「ああこれは劇場逃すパターンだな…」と思い、まずは『九龍城探訪』を買って九龍城熱をなんとかしよう、と思った。

九龍城と聞いただけで身体の奥が熱くなってくる…あの手の廃墟のような入り組んだ建物に、無条件にヤられちゃう人、いるよね?自分はそう。#士郎正宗 のマンガもまさに九龍城好きの流れだな。

『九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 – City of Darkness』(イースト・プレス 2004)

九龍城のリアルな写真集としても勿論のこと、そこに住むさまざまな職種の人達に普段の生活のことを詳しく聞き語りしていて、これが本当に面白い。まさに『九龍城の生活史(by岸政彦)』といった趣。高価な本だが文章量も相当で、充分に元がとれる。

この面白本を中盤まで読んだ頃に、急に映画を観に行けるチャンスがやってきて、観てきましたよ『トワイライト・ウォリアーズ』。(2月13日頃の話。だけどまだTジョイ新潟万代では上映中)

自分は1970年生まれ、ジャッキー・チェンの香港映画が子ども時代にめちゃくちゃオンタイム。とは言えあの手の格闘ものにそんなに心動くタイプではなかったので、それなりに「観てはいる」位の関わり。

そんな自分でも、ちょっとあの頃の気持ちを思いだした。なんというか、あの時代の空気というか。前向きしかないあの気持ち?
間違いなく今でしかできないクオリティの映画だけど、昔に作られたかのようなポジティブな気持ちを追体験した、と言えばいいのか。

内容はギャングのシマ争い&カタキ討ち、対決して勝つ!みたいなストーリーで、少年マンガそのままの喧嘩ンシーンの連発。しかも九龍城そのままに見える素晴らしいセットを上手に使った、めちゃハイクオリティなアクション。

そのシマ争いもカタキ討ちも、ちゃんと脚本が練られていてツッコミ処が全然無い。王道の内容を王道のままちゃんと丁寧に隙無く作られている、とんでもないレベルのエンターテインメント。

登場人物のキャラ立ちも凄くて、まー魅力的。中でも自分は強いおじいさん達が好きで、龍兄とサモハンはフィギュアが欲しい位だ。最初から最後まで最高だった。

実際の画像が流れるエンディングには泣いてしまうし、『九龍城探訪』には取り壊し近くの様子も書かれてるしで、劇中の物語とは別に、心の中にある「いずれなくなるこの場所」という哀愁がもう、ずっと切ないのですよ。

ただし。
自分は…カンフーが嫌いな訳じゃないけど、この映画、刃物を持って戦うシーンが多くて。そのキャシャンキャシャンてゆう音が、もう痛そ過ぎて苦手でした。生理的に無理なの。なので後半の刃物アクションシーンが相当厳しかった。

ギャング映画とかノワールとか、少年マンガに心がめちゃくちゃ躍るタイプにめちゃオススメです。『九龍城探訪』も、読み終わったら #かめかし文庫 入りする予定。

「新潟と、ことばと、翻訳と、2」in北書店

2/26に北書店で開催された新潟出身の翻訳者4人のトーク「新潟と、ことばと、翻訳と、2」に行ってきた。

1回目に引き続き結構なボリュームでまたしてもメモが大量だけど早く書いちゃわないと忘れちゃうので。印象的だったトピックのみ抜粋です。

【登壇者】
○斎藤真理子:言わずと知れた韓国語翻訳者。「世界で1番多くハン・ガンの著作を翻訳している人」らしい(byアトロク2)。新潟市ご出身。
○阿部大樹:精神科医で翻訳者。自著もあり。柏崎市出身。
○工藤順:ロシア語翻訳者。高校が自分と一緒。山北出身。
○福嶋伸洋:ポルトガル語翻訳者で作家。小出・十日町出身。

●4人全員が「翻訳大賞」受賞経験者。

●新潟出身だからこその「外国と日本」の捉え方についての話。ロシア、ハバロフスク、韓国との繋がり。

●南の国の人が北国の話に憧れたり、その逆だったり。「文学における「ないものねだり」」の話。

●「北に向かう作家と、南に向かう作家」がいる、という話。

●大量に本を読む医師の阿部さん。読書は人間理解に直接繋がるようには感じないが、患者に話す「たとえ話」の材料として役に立つ。

●自分の生まれ育った場所の記憶についての話。翻訳する際に「原風景を想像する」ことは大事だと思う。(斎藤)

●読書の話。小説とノンフィクション(を読むこと)の間には溝があり、しょっちゅう行ったり来たりしないと、読む筋力が落ちる。(斎藤)

●翻訳の際に「ざわざわ」と感じる違和感のようなもの。これを解消するために注釈を入れたり色々と手をかけたりすると、誤訳のきっかけにもなってしまう(斎藤)

●知り合いの本は読みずらい話

●ロシア文学は泥を書くのが得意?


●前回に続き「ロシア文学とは?」の話。宮澤賢治は純ロシア文学。

●クラリッセ ・リスペクトルは「ブラジルのヴァージニア・ウルフ」(福嶋)

●マンガ「美味しんぼ」が大好きなのだが、お金を払うシーンが1度もないことについてずっと考えていた(福嶋)

●作家と作品を分けることについて。その分かちがたさ。「発話の意図」が分からなければ自分は訳せない(阿部)

●「とてもこの小説が面白かったから、原語で読みたい!」という感想に対する何とも言えない気持ち。特に韓国語にありがち?
たとえば「初版に価値がある」=いろいろな人が手を加えていないオリジナルのものに価値を感じる気持ちと通じるのでは。

●第一回同様、方言の訳し方について質問が。その答えの中で「イージーリスニング地方語(斎藤)」という名称が出て来た。たとえば手塚治虫の「がす」など。

●辞書に出ていないような文学を訳すことにワクワクする(福嶋)。

●ロシア圏は辞書がWEBで共有化されていて、辞書の名前+PDFでダウンロードできることが多い(工藤)。

ざっくりとしたメモを元に書いているので、細部は違っていることがありますが、今回も面白かった〜!

福嶋伸洋『リオデジャネイロに降る雪』

未だ半分位しか読んでないけど、これもいいのよねぇ。

こないだ北書店にいらしてた、ポルトガル語翻訳家・福嶋伸洋さんのブラジル滞在記『リオデジャネイロに降る雪』。
まったく異世界文化。祭りを愛する彼の国の人が、土地が、愛しくてたまらない。旅したくなる。高校生の頃に初めて吉田秋生『カリフォルニア物語』を読んだ時の、あの愛する感じに似てる…と思った。

装幀も、すごくかっこいい。

斎藤真理子さんはじめ、新潟出身の翻訳家総勢4名(全員が翻訳家大賞受賞経験者!)が集まったトーク「新潟と、ことばと、翻訳と vol.2」も初回に続きとっても面白かった。感想はまた今度。

『弾劾可決の日を歩く “私たちはいつもここにいた”(タバブックス)』

岡本有佳・編『弾劾可決の日を歩く “私たちはいつもここにいた”(タバブックス)』読了。

待ってました。あの裏側がとにかく読みたかった。
(きっとこれも映画になるよね、と映画部会で話してたっけ)

昨年末の韓国非常戒厳令発令から、大統領弾劾まで、特に若い女性達がどう動き、何を発していたのか。現地での臨場感溢れるレポート、その後のトークやインタビューをまとめたZINE。65Pで¥1,000。2/26初版発行。タバブックス通販サイトで買えます

そもそも知らないことがどんどん出て来て、すごく勉強になる。というかもう最初から最後まで感情を動かされっぱなし。これを「感動」と言っちゃうと、自分が彼ら彼女らの気持ちを消費しているようで(実際そういう面もあるのだろう)恥ずかしいのだけど、もうこれは、人が動くという感動以外何モノでもない。凄まじい感動でした。

知らなかったこと。
●尹錫悦元大統領の言論弾圧の実際の酷さ。女性政策を何十年も後退させるかのような前時代的な改革の数々。そしてかの大統領の横暴を、日本のTV局がほとんど報道してこなかったこと。

●デモに参加できない人が、デモ周辺の飲食店に前払いをしてデモ参加の若者達への無料の食事をサポートする仕組み。サイトで「あと何食」と見えるようになってる。この仕組みを、IUなど多くの著名人が寄付でサポートしている。

独立メディア「ニュース打破」:朴槿恵政権までの言論弾圧で公共放送を解雇・辞職した記者等が非営利で調査報道をするメディア。広告は取らずに市民からの支援金のみで運営されている。尹錫悦の言論弾圧でも1番ターゲットになった。

●メディア監視の「民主言論市民連合」:軍事政権下で解雇されたジャーナリスト達により1984年創立。

今韓国ではYouTubeで多くの独立系メディアが立ち上がっており、それらが、戒厳が発令されてからの国会での市民の動きを刻一刻と伝えてきたおかげで、素早い戒厳令の解除と弾劾裁判をサポートしてきたようだ。一方で尹錫悦が乗っ取ったメディアもあり、双方は全く違う様相なのだとか。
日本との違い、良い所も悪いところも。

K-POPを中心に、歌と共にあるデモの様子。討論の場づくりの様子。デモをやらざるを得ない状況は苦しいけども、でもその連帯が、とても羨ましくもある。

12月、あの迅速で素早く、そして大きな動きの裏にあるのは、韓国の近代史における人権弾圧の歴史はもちろんのこと、セウォル号事件やイテオン雑踏事件の惨事を未だリアルに体験している世代だっからこそ、と言われている。

「苦痛を直視しようとする心、他人の空腹と寒さから目を背けない心、差別と排除の苦痛を共にしようとする心が人間の心であり、人間の村に咲く花だと思った。私はこれらの顔からセウォル号の子どもたちを見た。セウォル号の子どもたちがその場に来たと固く信じた。死者が生者の道を開けてくれたと信じた。セウォル号以前と以後の世界は違わねばならないという意志が、人々の胸のなかに怒りの花を咲かせたと思った」
(12月南泰嶺の農民デモ後、関係者のFacebookより)

また韓国におけるジェンダー平等は、日本のそれよりもかなり遠い話で、これらのデモで話される言葉にも、その実感がにじみ出ている。
ここで勝っても終わりではない、弱者への関心を失わないで。その関心こそが皆を生かしてしていく唯一の道なのだから、と。

我が国が本当にどうしようもなくなっていく今この時、読んで良かったと思える一冊だった。

恩田陸『spring』感想

恩田陸『spring』(筑摩書房)。
なぜか1ヶ月以上行方不明になっていて、えらいこと読むのが遅くなってしまい、やっと読了。
面白かった!

天才男性バレリーナ:春の少年期から青年期までを、
友人、幼馴染み、叔父、本人と、4つの目線=4つの章で描く。

同じ作者の『蜜蜂と遠雷』は、
「クラシックピアノの世界、しかもコンテストの内容を文章で伝える」
という信じられない難題を見事にクリヤし、読み終わってみると、むしろ文学だからこそ創られる意味があったのだ、と思い知らされるような傑作だった。

これをバレエの世界でまたもや!やってのけたのが、今作『Spring』。踊りの中で演者は何を想い何を見ているのか、観劇者はどこに連れて行かれるのか。体験したようで未体験のようで、やっぱり文学ってすごい…となってしまう。
(でも自分の中ではやっぱり『蜜蜂…』の方が上かな)

そして今作、なんと筆者が作中でバレエの新作を作り出している、つまり演出家やディレクターやコレオグラファーの役割まで果たしている、ということだ。これはもう文藝作家の域を超えていませんか?という…。

巻末のSPECIAL THANKS、
錚々たるバレリーナの面々が並ぶ中、一番上に書かれているのは、我が新潟市が誇る金森穣氏。noismの公演には欠かさず通っていたと恩田氏はインタビューに答えている。クラシックとコンテンポラリーダンス、ダンスの中でのコンテの位置など、勉強になりました…。

noismファンはもちろん、読んで損はしないと思う。

絶対絶対映像化は無理と思っていた(筆者もそう言ってた)『蜜蜂と遠雷』が、あんなに!見事に映画化されたんだから、きっと今作もいつの日か劇場で観る日が来るのだろうな。楽しみにしています。

=====================


ところで何刷りまで続くか分からないけど、初版では一部が透明になったプラ製のしおりがついていて、そこを本文の気に入った文章・2〜3行の上に重ねて、写真を撮り、 #springわたしの推し文 というタグをつけて写真を投稿することで、他の読者がどこにぐっときたかが分かる、という素晴らしい販促企画が実施されてる。而してこのしおりも…無くしてます。悲しい。

でもこれ、大きなネタバレ無しに抜粋でその魅力が伝わる、めっちゃ良企画なので、これからメジャーになって欲しい!版権フリーでお願いします。

倉本聰『破れ星、燃えた』感想

倉本聰『破れ星、燃えた』(幻冬舎)読了。
作者の自伝で脚本家として仕事を始める60年代から現代までを描く。
少年時代からその歳までは前作『破れ星、流れた』(未読)に。

営業的なアレで、帯には
「今でも、黒板五郎の幻影を見かけることがある。」
こんなコピーが出されているが、『北の国から』については後半少し割かれているだけ。

メインはなんといっても60年〜70年代の、脚本家としてめきめきと頭角を現す時代。
高倉健、北島三郎、笠智衆、石原裕次郎らといった錚々たる面々の素顔。TV局の名物P、芸能プロダクションの伝説的人物の描写。圧倒的。圧倒的過ぎて劇的過ぎて、好き嫌いはあるかも知れない。

自分は学生時代から倉本氏の書籍をぽつぽつ読み続けているので、北の国からの話はおよそ読んでいるし、他のエピソードについてはいくつかはきっと既読だったりするのかもしれない。だけど改めてこうやって一冊にまとめて読み直すのは感慨深い。あと倉本聰関連書籍はいつも北書店にあって、佐藤店長と彼の話をすることもあり、最近は北書店で買ってるかも。

倉本氏の運命を変えたNHKとの大げんか、その後のフジテレビとのやり取り、今も続く日曜劇場の当時の話、『海に眠るダイヤモンド』の記憶も新しい炭鉱閉山の話、どれもこれも面白く、読んだばかりの岡室美奈子『テレビドラマは時代を映す』と横糸が通る感じもあって…

テレビドラマの話が読みたい人、倉本聰のファンにはもちろんオススメ。

この2冊を読んでいると観たいドラマがいくつも出て来て、そのいくつかは配信で観られるのがなんとも嬉しい。が、あくまでフジ系を除いてだ。なんかFODのみ配信って文化の断絶じゃないかとさえ思う。

『君は海を見たか』とか『ライスカレー』とか、今見てぇーーーー!

『ぷらすと』がもたらしたもの

朝COBO活。7時のOPENあたりには誰一人いなかった。

今年の映画ベストをまとめはじめている。感想を書いていないものも何作品かあるけど、ちょっと年内にアップは無理そう。『ホールドーバーズ』良かったなぁ。Podcast『映画雑談』のホールドオーバーズ回は、虎に翼評も結構入ってて俺得だった。

北書店で先日買った別冊文藝『クリストファー・ノーラン』。
添野知生さんが『インターステラー』について書いていた。元々弟のジョナサンがスピルバーグに当て書きした脚本で、それにクリストファーが何を足したか。それは何故か。自分の娘のことがかなり関係しているみたい。ジョナサンの妻リサ・ジョイが女性目線で『ウエストワールド』などの傑作をものしている中、勿論分かっててあえて男性目線でSFを描き続けていること、その対比だとか。ほんとそうね。

『ぷらすと』で知って、松崎健夫さんと共にファンになったSF映画評論家の添野さん(岸政彦さん似)、近年は体調不良でYouTube番組にも出られていないので心配なんだけど、どこを見ても近況が分からない。どうか復活されますように。

『ぷらすと』が俺にもたらした影響も、終了した影響も、とっても大きい。もう何年も前のことなのに、未だにショックだ。
今終わられると恐らく立ち直れないくらいダメージを喰らうのは間違いなく『after6junction』で、終わらないように願掛けでステッカーをデザインしている。出来たら車の後部ウィンドウに貼ります。見たことないアトロクステッカーの貼ってあるVOLVO v50を見かけたら、それはワタクシ。

岡室美奈子『テレビドラマは時代を映す』

岡室美奈子『テレビドラマは時代を映す』(ハヤカワ新書)読了。

著者は早稲田大学教授、テレビドラマ論/現代演劇論が専門。60年代頃から現代までをいくつかに区切り、それぞれの時代のテレビドラマが、どのように世相を盛り込んできたかを描く、毎日新聞連載のコラムを新書化。

1コマが2P程度と短く読みやすい。またドラマに限らず時にバラエティ、ノンフィクション、紅白などの音楽番組までも取り上げていて、ドラマを語るというよりも「テレビを通じてその時々を語っていく時事エッセイ」の気分。

大まかな時代背景もそうだが、忘れかけていた個々の事件やムーブメントについてドラマを通して思い出すことができるのが楽しい。残念ながら『虎に翼』の直前までなのだが、かの作品が描いたジェンダーギャップやマイノリティ差別の歴史、見え方の変化についても本書で追いかけることができる。
(出版後に岡室さんはあちこちのラジオでとらつばを激推ししてた。入れられなかったのは残念だったでしょうね…)

現代で自分などが追いかける野木亜紀子、渡辺あや、坂元裕二、安達奈緒子などなどの作家は勿論、自分が産まれたころからの作家論・プロデューサー論をざざーっと読めるのもすごい。この後読んだ倉本聰の自伝もちょうど60年代から現代までのテレビが舞台になっており、御大が一方的にテレビドラマ界の衰退を嘆くのと一緒に読めたのは笑ラッキーだった。あと『海に眠るダイヤモンド』が終わったばかりだけど、本書でも倉本の著作でも、炭鉱の事故や閉山という事実が世間的にどれだけ大きなニュースだったかが、見て取れる。あと東芝日曜劇場(現『日曜劇場』)の偉大さとか。こういう風に立体的に繋がるの、嬉しい。

ラジオでいつもお聞きしている岡室先生の著作をやっと読みました。これからも楽しみにしてます!

舟之川聖子『「頭髪検査」廃止に立ち上がったいち保護者から見えた学校のこと』感想

舟之川聖子『「頭髪検査」廃止に立ち上がったいち保護者から見えた学校のこと』(ひととび〜人と美の表現活動研究室)読了。

今年のふふふのzineで買った『B面の歌を聞け vol.4 〜ことばへの扉を開いてくれたもの」に掲載されていた作者のインタビューを読んだのがきっかけ。

子供の中学校で行われていた頭髪検査に対して疑問を抱き、それを止めるために活動をはじめ、その過程で「権力が使うことば」に気付き、それに対抗する手段を考えたという、長くないインタビューだった。最後に紹介されていたこのzineを、すぐに注文した。

自分も今高3と中2の娘がいて、PTAの委員などの経験もある。いずれもすべて公立学校だが、特に小中学校において、自分が学生だった40年前と、まったく、そのまま!同じ憤りを、そのまま親になっても抱くとは思わなかった。

自分が接してきた学校では、この頭髪検査のような「立ち上がらずにはいられない」事態はなかったのが幸いだが、ところどころであり得ないようなことはあったし、都度必要な場合は、書面や口頭で相談(という体の抗議)をしてきた。その結果少しでも変わったこともあるけども、お決まりの「言葉」で、なかったことにされたケースが殆どだったように思う。

このzineは、そうして感じた、自分の力不足ゆえの残念な気持ちを振り返りつつ、同士は確実にいるんだという勇気と、そして具体的・実践的な戦術・ノウハウを与えてくれる。

未だこの国の学校に根深く存在している「子供は放っておくとけしからんもの。その子供を優れた理想像へと先生が引き上げていく」という物語。ケアでなく支配。おかしな校則の裏にあるこの空気、誰もが感じたことはないだろうか。軍隊でもない教育機関で何故このようなことが…と思うあの仕組みについて、徹底的に、気持ち良いばかりに舟之川氏 seikofunanok が言語化してくれる。

この気持ち良さをなんとか表現したいのだが文章力も語彙力も全く追いつかないので、すみませんが写真でいくつか引用させていただきます。

彼女の抗議活動が気持ち良い結末に終わった訳ではない。気持ち良いのは作者の言語化、抗議の過程とそのロジックであり、対する学校側の反応は…やはり見慣れているアレなのだ。あの構造から抜け出ることはない。

そのことは「はじめに」でまず書かれている。

これは、「対話して相手の状況を知ったことで、お互いに漠然と抱いていた不信や不満が解消された」という類いの話ではありません。残念ながら。

しかし作者は続ける。

この本で特定の学校や人物を料弾する意図はありません。それよりも、自分の家族や自分自身が理不尽な日に遭い、尊厳が損なわれたときに何ができるかを示したい。そして、このような人権侵害の行為を生み出す権力と差別の構造を誰が支えているのかを問いかけたいと思って書きました。これは学校だけで起こっていることではないとも思います。
この本が、苦しみの渦中にいる人、動きはじめた人を励ますものになれば幸いです。

自分は、日本の学校が持つこの権力維持構造が、子供に与える、ひいては自分達の未来に与える多大な影響を、心から憂慮する。

「こういうものだし、解決方法なんてないんだよ。日本人らしいよね。良い所だってあるし。仕方ない」
などとは、絶対に見過ごせないと思っている。

以前紹介した『怒りzine』と併せ「怒りすっきり系」として、大いにお薦めします。

『GALAC』12月号で虎に翼の記事を読む

テレビとラジオの批評誌『GALAC』12月号

初めて買った。編集発行は「NPO放送批評懇談会」。

たしか岡室美奈子さんのXで知った「朝ドラ『虎に翼』が開いた扉」特集が素晴らしい。全20P。

冒頭の座談会、脚本の吉田さん制作統括の尾崎さんまでは良く見るとしても、梛川善郎チーフ演出、石澤かおるPまで加わった4人はなかなか読めない。その後の寄稿も、どれも素晴らしかった。

そもそもの企画の発端と、その後尾崎さんがこの人達を座組として選んだ理由が、詳しく語られている。また、『家庭裁判所物語』という著作があるNHKの清水聡・解説主幹もキーマン。彼は「歴史司法」戦前戦後の司法を専門にした記者だが、これらの本はNHKの取材ではなく個人で時間をとって調べ上げ書いたそう。この清水氏が制作チームの一員として考証に入っている。NHKで脚本作業をしていた吉田さんが「普通は脚本家が直接会うことの少ない」考証の人とNHKの食堂で気軽に会えることの大切さを語っている。現場のこんな話、なかなか聞けない。清水さんは同誌別ページで考証の寄稿もされている。

『虎に翼』は現代の問題を盛り込み「今過ぎるのでは」という声も聞こえた中、それが単なる場所借りではなく、調査や検討により「昔もそうだった」という推測に至った話とか。

痺れたのは撮影のこと。
「今作はマスターショットがうまい。従来朝ドラのようにマルチカメラスイッチングでバンバン繋いでいくのではなく、アングルを決めてそこの中で芝居をするというショットが多用されている」そうで。

配信ドラマはもちろんNHKのドラマも軒並み映像のクオリティが上がっている中「朝ドラだから映像はそこそこで仕方ない」とは言えない。朝ドラにありがちな「小さなセットを写すためのワイドレンズでルーズな俯瞰」という画になった瞬間、途端に醒めてしまうから、できるだけ長い玉(レンズ)でひいて撮るようにしている。全部にピンが合うワイドレンズでどこを見たらよいか分からない映像よりも、1枚の画で役者の芝居と世界観が表現できるようにしたいと考えた。この撮り方は美術にも影響を及ぼしつつ、従来の朝ドラとは違う撮影が実現できた。

あの印象的なカットの数々は、こういう名監督の元で生まれたのだな。

前に「とらつばナイト」で書いた、女学校の先生のカット。これは脚本ではなく梛川演出によるものらしい。座談会でわざわざ取り上げられていて、感激。

同じ方向を向いたさまざまなスタッフがお互いに意見を出し合いそれを採り入れていく現場。
「撮影現場でも、年齢も性別も違うメンバーが、とりあえずこのシーンをどうするかについて相談するときだけは、誰もがフラットに想ったことをしゃべれるという空気を一番大事にしていました。それは『虎に翼』の芯にある憲法14条の精神みたいなことで、このドラマを撮っている以上、そうでなきゃいけないだろうと。」という梛川さんの言葉に痺れた。

仕事としてではなく、個人として、経験談を話したり議論が起こるような撮影現場だったそう。
「例えば女性の照明スタッフが、寅子が再婚して苗字をどうするかというエピソードの撮影時には、自分はどうするんだろうと真剣に考えてしまったという話をしてくれたり、彼女と伊藤沙莉が撮影後にそんな話をしていたり」

以前『虎に翼』は歴代朝ドラの中でNo.1とか、そういうベスト枠には嵌められない、別枠だ。ということを書いたけど、この特集を読んでやっと分かった気がする。

今作は、受け取った人がその中身を自分事にしてしまう力を持っている。別世界のドラマではなく自分のこととして語り出し、つないでいくバトンを確かに手渡したのだ。だからロスどころか、これから引き継いで、続けていく物語なのだと思う。

『虎に翼』以前との違いは、何が正しいのかわからなくなったとき、憲法第14条が、そしてこのドラマが、私たちを等しく照らし出す『灯台であり続けるということだ。
それは朝ドラの未来への1つの希望に違いない。
(批評の目「朝ドラの現在地と『虎に翼』が紡いだ未来」岡室美奈子 同誌より)

ABOUT

1999年のWEB日記時代から始めた個人サイト。ブログ移行にあたって過去記事も抜粋してアーカイブしています。
(HTMLサイト→SereneBachブログ→WORDPRESSブログと転移)

好きな漫画(2014年版)はこの記事の最後に。

最近は(インスタ)でアップしているTV・映画感想の投稿を、半年に1回くらい一気に転載しています。