mixiをほぼ利用しなくなり、FBでは勿論日記など書ける訳もなく、紙の日記から離れて久しい。以前はこのWEB日記が結構日記の役割も果たしてたのだけど、ブログに移行してからかなり削除してしまった。「あの時自分どうしてたっけなぁ〜」という局面で何か少しでも記録になっているものを残しておきたい。
過渡期かどうか分からないけど、今しばらく「日記」を残せるのはこのブログだけのようです。ということで。
幼稚園のバザーの大きな係をまかされることになり、生来の凝り性も相まってかなり無理を続けていた相方。(今思えば)バザーが終わりその後2〜3週間次女の夜泣きがひどくなり、それに応じて徐々に相方の寝不足が厳しくなっていった。そしてある日急に、強烈なめまいと吐き気(これまで吐いたことがないのに吐いていた)が1日中続き、耐えきれず夜に救急病院でめまい止め・吐き気止めの点滴を注入。こういう眩暈吐き気の元は8〜9割が内耳、三半規管の不調のせいで、それも疲れが主な原因だそうだ。
翌日耳鼻科に行って薬を処方してもらい、一週間弱でなんとか回復。薬を飲んでる間はやっぱり(おっぱい飲んでる)次女の隊長もイマイチだった。下痢したり、やっぱり夜泣きしたり、寝つかなかったり。
その後しばらくして次女の夜泣きもおさまり、以前通りに。
クリスマスは三連休。どこにも行かず家族だけでどっぷり休日を楽しんだ。特に長女は、来年はもう親に気づかう年ごろ。今だけの楽しみを存分に。
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この1〜2ヶ月の新聞の朝刊には、目を剥く信じがたいニュースが相次ぎ、いちいち記憶していられないほどだ。後世になったら客観的にこの2011年がどういう位置づけだったのかよおく分かるんだろうな。
例のSPEEDIのデータ隠しは、特に検証も原因も責任も問われないまま、公式にうやむやにされたようだ。
八ッ場ダムの建設再開が決定されていた。
福島第一原発は12月をもって「冷温停止状態」となり、「事故は収束された」そうだ。私たちの国の首相が言ってた。
核燃料が既に容器を突き抜け地下コンクリのどこかもしくはその下にある(しかも誰も確認できていない)から冷えて「冷温停止」になったという、笑うに笑えない笑い話のような話を正々堂々と一国の首相が宣言し、国際的に笑われちゃった年が、2011年。
最新型の焼却場を福一近くに建設すれば問題なしに処分できるはずの被災瓦礫が全国にバラかまれ、その受け入れを了とする住民の意見が多数。各地の焼却場に設置するといわれているフィルターの質も根拠もひどい。
出た放射能は「無主物」で東電の持ち物ではないから除染する責任はないそうだ。逆に感心…もできない屁理屈にもなっていない屁理屈。
福一が海洋に流出させた人類史上最悪になるだろう放射性物質の量は、非常事態ゆえに「ゼロと計算する」と日本政府が発表。これからどんなに流れても「ゼロと計算する」んだって。
場所によっては安全なものもあったのに、まともな検査をせずすべての米の安全宣言を出した福島県知事。さんざんPRをした後に高汚染米が見つかるという、農家にとって、福島県にとって最悪の事態を招いている。毎朝のように、「さらに見つかる」「また見つかる→出荷停止措置」という繰り返し。
いちいち書いていられない。本当に毎日毎日「ええっ!」という記事に驚かせられる。まともな国じゃなかった。ひいては私たちがまともな国民じゃなかった。良く分かった。
こういう年だったからこそ気付かされた良い話だって、勿論いっぱいありました。悪い事だけじゃ決してなかったんです。また別項で記録を残していきたい。