『蜜蜂と遠雷』原作読了。
自分は映画→原作の順に入ったのだけど、これが正解だったように思う。
最初に何の予備知識もなく観た映画版は、とても良かった。
すぐに原作を読みたくなった。
原作は厚めの文庫で2冊のボリューム。これを2時間の映画にするのだから、相当割り切って作らなければいけないのは当然で、その割り切り方もアレンジも、今思えばとても見事だったと思う。
原作は、大袈裟に言えば別物だった。出てくるピアニスト達の心理描写も、バックボーンも、関係性も、映画ではその殆どがカットされるか、もしくは説明がされていない。何より演奏シーン。原作は「小説でしかできないことを」目指して書かれた「音楽小説」だ。
原作でも演奏シーンの割合はとても多い。普通考えたら飽きてしまいそうだけど、一気に読んでしまう。見事な構成と表現力。何度もカタルシスが訪れる。「音楽」への愛に溢れるクライマックスに何度も泣かされる。
演奏シーンは、あらゆる小説的技法を使って、恐ろしい没入度で描写されていた。背景にはそれぞれのピアニスト同士の関わりがあり、思い出と経験があり、音楽を極めるもの達だからこその精神の繋がりがあり、曲それぞれの分析があり…。その結果文章だけで驚きの「音楽」体験を実現している。
そもそもが、映像で不可能な描写によって「読者の頭の中でそれぞれの音楽が鳴る」もしくは「音楽が鳴らずとも音楽の素晴らしさを体験させる」ことを目指した小説だったのだから。
「映画化する」と言ったら「??」となるのが当たり前。そもそも矛盾している。
だけど、見事な映画化だったと今でも思う。
映画と小説の情報量は、1:10くらいじゃないだろうか。でもそれは映画から入ったせいで、原作を知った今ならきっとその比率は1:5にも1:3にもなり得る。そういう風に作られた映画だったと思う。
だけど最初に原作を読んだ人は…
自分みたいに1:10には思わないだろうけど、それが1:5だとしてもやっぱりがっかりするところはあるような気がする。短い中で人物の個性を表現するために、今思うと残念な変更も僅かにある。減点法は、加点法に比べてやっぱり寂しい。
だから自分の思う『蜜蜂と遠雷』のベストな流れは
映画→原作→映画
だ。
気になってる人はまだやっているうちに是非映画を観て!
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