小学校のマラソン大会に思うこと。

娘二人の小学校でマラソン大会。気温28℃。晴天。クソ熱い。
誰がこんな仕組みを開発したのか知らんけど何十年も同じことが続いている。その結果、自分が小学生の時も、親になった今も、この「マラソン大会」て奴に同じ気持ちを抱いている。
「頼むからやめてくれ」と。

きっと「競争」も「スポーツ」も好きで、こういう大会があること奮い立つし、練習もするし、結果成長する子達も沢山いるのだろうから、希望参加制にしたらいいと思う。あと、もう少し涼しい時期にやれば?余計なお世話かも知れないけど。

ま、分かってて極端に書きますよ。

世の中で一番マラソンが嫌いで、このような舞台で注目されることを人一倍イヤがっている子が、何故かこの日学校で一番注目を集めることになるよね。。マラソンはどんなに遅くても最後の最後まで完走することが「善し」。それを皆は拍手し「頑張って〜!」と声をかけて応援するのが「善し」。トップから周回遅れで最後にへろへろになってゴールに辿り着く「走りの苦手な子」は、その日一番の拍手と声援を受けてその日を終えるのが「善し」。きっと小学生・中学生の間、何回も。何の罰ゲームなの、一体。彼ら彼女たちは何か悪いことをした?足が遅いから?普段のトレーニングが足りないから?でも拍手と声援できっと頑張れる筈?へぇー。

俺は子どもの頃、勿論足の遅い方で、いつも最後から何番目だったかと思うけど、通り沿いの声援ってのが一番イヤだったな。気持ちは今でも覚えている。「おまえらこの苦労が分からないくせに、走りもしないで楽ちんなところか見て、無責任に『頑張れ〜!!』てなんじゃそれ。ふざけんな。みせもんじゃねー」

オトナになった今も、その通りだと思う。今日も日陰で楽して見ながら、「死んでもこんな日に走りたくね〜。子ども達お疲れ様。ホント大変ね」と思った。無責任に。ホントその通りだったよ。だから殆ど声はかけなかった。高学年になった長女も、まさに俺の時と似たようなこと考えてたんじゃないかと思う。そんな表情だったし、事前にも「絶対大きい声で応援しないで!」と念押ししてた。

記録は撮りました。見たくなければ見なければ済むことだし。でも、もし何十年後に見たくなったら、撮ってなきゃ見れないからね。多分皆は「撮るんじゃね〜!」と思いながら走ってたと思うけど、撮りましたよ。他の生徒の様子を見るのはきっと面白いと思うから、同学年の全員を撮った。これ写真のポイントでもある。自分の子どもだけアップで撮っても、後でなんも面白くない。その年に周りに誰がいたか。どんな環境にいたか。町の景色はどうだったか。そういうのを一緒に撮るのが家族写真のポイントだよね。

しかしこんな親の気持ちとは裏腹に、次女は謎の前向き少女(小1)。学年イチのちびっこで、出だしからびりっけつで、目の前の妻の声援で盛大に転び、瞬時に起き上がり、何事もなく一生懸命に走り、一生懸命だけどずっとびりっけつで。練習の時からそうなのに「できれば一位をとりたいなぁ〜」と我らにのたまい(!)、仕事で来れるか分からないのに「絶対に見に来て!」という大プッシュぶり。走る前も後もデカい声で笑いながら話してて、お前一体誰から生まれたんだと。そのポジティブはどこから?
おかげで毎日楽しすぎます。ありがとう。

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