われわれは、まず、折あるごとに不満を述べあい、議論をたたかわし、役所に苦情の電話をし、新聞や雑誌にすぐれた記事を発見した場合には、手紙を書いて激励しようではありませんか。
その効果はあまりにも小さく、前途は気の遠くなるほど遥かです。しかし、これが、誰にでもできる唯一の道造りではないでしょうか。
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これは伊丹十三さんの『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫)という随筆集に収められている文章です。ヨーロッパの道を1万キロ走ったが、ひとつも穴ぼこはなかった。それにくらべて日本はどうだ。でこぼこだ。よい道をつくれないのではない、つくろうという意志や計画がないのだ。だからわれわれはそれを求めて声を上げていこう、というお話です。
いまでは日本の道路は全国すっかりきれいです。その点ではこれが書かれたときから随分と時間が経ったのだと感じます。では、「声を上げる」ということについてはどうでしょうか。僕は震災と原発事故が起きるまで、僕自身の、つまり高速増殖炉もんじゅというものの危険性をさっぱりちいさく見積もっていました。
完成してから約20年のうち4ヵ月しか稼働できていないという実績を鑑みれば、どう考えたってあぶなくて脆いとわかりそうなものです。けれど「おまえは夢の原子炉なんだぞ」というまわりのおじさんたち……JAEA(日本原子力研究開発機構)の研究者さんたちのことばをすっかり鵜呑みにし、安穏な気持ちで暮らしていました。それは嘘の上に成り立ったやすらぎでした。考えることをやめていたのです。
先日、許可をえて福島第一原発のそばまでいってきました。
ぱっと見るとごくふつうの町並みです。さっきまでだれかが乗っていたような気さえするこども用の自転車や、量販店のウィンドウの中に積まれたままの衣料品。
けれどつぎの瞬間、あちこちにほころびがあることに気がつきます。割れたままのガラス、信じられないほどおおきな蜘蛛の巣、たわわに実をつけすぎた庭木、一面すすきの海と化した田んぼ。津波の被害ともまたちがいます。見ただけでは悲しみさえわからないのです。人がいない意味を考えて、はじめてぞっとする風景。
原発はやめられないのでしょうか。そんなはずはありません。
1950年代、日本は「原発を基幹エネルギーにするのだ」と決めました。けれど原発にはおおきなリスクがつきまといます。だから普及させるために、原発を建てるほどプラントメーカーや電力会社や立地自治体がもうかる(ように見える)しくみを整備してきました。ほんとうに原発がもうかるのなら、国がたくさんの制度や法律で優遇しつづける必要なんてないはずなのに、です。
政治が脱原発を決断し、経産省のつくってきた呪縛のようなしくみを変えていけるなら、きっとできます。この原稿を書いている2013年11月15日現在、日本で動いている原発はゼロですが、電力供給も経済も止まってはいません。
国の決断をあとおしするために僕たちができることは、あきらめず、ニヒリズムにおちいらず、ことあるごとに「原発のない社会にしたい」と行政や政治や報道に伝えていくことではないでしょうか。それには投票や投書、パブリックコメントや公聴会やデモといったさまざまな方法があります。
そしていちばんたいせつなのは、あなたのとなりにいる人、家族や友達、職場や学校の人たちと、この話題についておしゃべりすることです。変なことを「変だ」と口に出せない空気を変えていく。これこそが、ふつうの人ひとりひとりにしかできないことなのです。
(もんじゅくん・「高速増殖炉もんじゅ」非公式キャラクター)