『春、阿賀の岸辺にて』をシネ・ウインドで。
監督:小森はるか(『息の跡』『ラジオ下神白』)
9/6〔土)、舞台挨拶付きの初回上映。シネ・ウインドは通路まで補助席で埋め尽くされ超満員。遅くに行ったら外でキャンセル待ちの方までいる位。終盤から、周りの方達は涙を拭いていた。終映後の挨拶や劇場前での乾杯まで、会場を埋め見守るお客さん達の温かい気持ちが感じられた、稀有な上映体験。予約しておいて本当に良かった。
【あらすじ】
新潟水俣病安田患者の会事務局長、患者に「冥土のみやげ」を渡すための「冥土連」を立ち上げ現在まで続けている「旗野秀人」氏の活動と日常を記録したドキュメンタリー。
【感想】
旗野さんの普段の様子を、ほぼ劇伴もなく?(覚えていないくらい)閉じ込めた映像。インサートされる津川の光景が美しくて懐かしい(うちの奥さんの祖父が鹿瀬に住んでいて、毎年お墓参りに行っていた)。
ずっと引き込まれたまま、最後のクレジットが始まる時には「ええ?もう終わり? もっと観たい…」と思っていた。
今までほとんど、シラフの旗野さんを見たことがなかった。トークイベントなどで見かける彼はいつも酔っているか泥酔していて笑、その様子と、知識で知る彼の偉業とが、今まで薄らぼんやりとしか結ばれてなかった。そんな彼の、普段の様子を見るだけでも惹き付けられる。彼の会社:旗野住建の工場の様子が美しく、ずっと流れる生活音が心地いい。
彼を知らない人がこの映画をどう観るのかは想像しかできないが、ぜひ聞いてみたい。
映像では、旗野さんに常に寄り添いサポートする小林知華子さんの存在が印象深い。彼女の表情や眼差しから、旗野さんについて知る映画でもあるように思った。
二人が体験授業で小学校へ出掛けるシーン。知華子さんが終映後の挨拶で
「旗野さんは子供達の質問がどんなものであっても、必ず最初と最後に「いい質問だね」と添える。それが彼の優しさをとっても良く現していると自分は思っていて、その部分が映像になっていたのが嬉しい」
と言っていた。
絵本を通じ、水俣病という「人が起こす災害」について知る意味が、彼の口から小学生に語られる。「冥土連」の「患者だって楽しいことを皆で」という運動の前にあった、彼の半世紀を思う。劇中に映される膨大な記録ファイルが、長年彼が続けてきたことの膨大さを想像させる。
小森監督が旗野さんの映画を作っている、という話を聞いた時は誰もがさもありなん、と思ったのではないか。日本の対公害活動においてだけでも彼の生涯は記録されるべきだから。
そして「やったこと」だけではなく、どういう人がどんな日常の中で活動をしていったかという記録が残される、そのことの大切さは、完成から30年を超え今も上映が続く『阿賀に生きる』が証明している。
上映後の舞台挨拶で旗野さんは言っていた。
「撮られることは正直嫌だったし、映画を公開するなら死んだ後にしてくれ、と言っていたのに…いつの間にかこんなことになってた笑。でも自分の気持ちはどんどん変わった。ついに今日になって、映画を観ているとこみ上げるものがあった。こんなにも素敵な映画にしてくれてありがとう」
あの、酔った姿しか見たことない旗野さんが舞台上で涙を拭いていた。良かったね。旗野さん。と思いながらこちらも気持ちを抑えられない。
この先までずっと伝えられるだろう映画が、再び生まれました。
上映は金曜日までの1週間と短いので、ぜひお見逃しなく。
(舞台挨拶コメントは私のウロ覚えです。ご承知置きください)
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会場には見知った顔が多かった!
上映の後は、お知りあい2人を誘って万代のカフェでアフタートーク。皆「人と映画を観に行く」習慣は無く、こんな機会は稀有で、だからこそ貴重で嬉しい時間だった。
『春、阿賀の岸辺にて』から、トークの感想、『水俣曼荼羅』『MINAMATA』など関連映画の話。からあちこちに飛んで、何故我々は潟や池に問題無用で魅了されるのか(そう言えば会場には大熊先生もいらっしゃってた)、差別・虐待の話(2つ前の投稿で書いた美術家の深澤孝史さんがウインドのすぐ後ろに座ってらした。お誘いすれば良かった…)、踊りの話、あとなんだっけ…そうそう、会場で質問したかったことも。今月はBBBでこの映画のトーク会があるらしいので、そこで聞いてみよう!などなど。
許せない公害問題ではあるけど、『阿賀に生きる』という名作が撮られ、旗野さんやまわりの素敵な方たちがいて、こんなに素晴らしい上映の場があって、終わった後にお茶に行き、存分に話のできる知り合いがいて。ああ新潟良い処。
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