自分が死ぬ時の夢を見た。(来た…)と思った次の瞬間、一瞬で死神?がさらっていって大空に浮かんでいた。「苦痛を取り除いてやる」と言われて「ほんとかよ」と半信半疑だったけど、次の瞬間、すべてが晴れやかに、クリヤになった。本当だった。死ぬ前はとても怖く別れが本当に寂しかったが(そして別れを言い損ねてしまったせいで、さらわれた時はがく然としていたが)、死んでしまったらそんなことはどうでもよくなってしまった。清々しさだけだった。
カテゴリー: 日常雑記
生命存在の可能性が一番高い惑星発見
1400光年先だそうな。
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3月最後の積雪?
3/10頃から「台風並の低気圧」がやってきて、3/11にほんの少し、3/12今朝で5cmほどの積雪。雪は大したことはないのだけれど、とにかく風がすごい。昨日F-pinsを付けた。あれから4年。当時「数年経ち皆が忘れたいと思っている時期だからこそ、必要な支援がある筈。専門技術のない自分たちは、その時こそ行動しなくては」と考えていたことを思い出す。3.11を契機にまた考えていこう。
(追記)この後2日間強風と降雪が続く。積雪は最大5cm程。1日だけ。
Twitter、Facebookのマナー
結局誰かが書かないといけないことなんだろうから、自分が書きます。大いなる自戒を込めて。
TwitterとFacebookをやるにあたっての「マナー」だと、自分が思っていること。本当はわざわざ書くようなことじゃない、とずぅーーーっと思っていたこと。
●お店や食事の写真をアップする時は、店名を必ず添える。
見る相手の気持ちになってみれば分かる筈。これはどこの食事なんだろう?絶対聞きたくなる。で、聞く→答える→もしくは答えない。そのやり取り必要?
「知っている人にだけ伝われば良いから…」と思ってる?であれば鍵付きでその「知っている人」だけに向けて発信しよう。そうじゃないことをやっているなら、他大勢の人のことも、ある程度は考えよう。その大勢の中には(お店の名前を知らない)大切な友人も沢山含まれているかもよ。
つまり→店名や場所を載せられないなら、その旨書きましょう。「場所はちょっと内緒」とか。
そうでなければ、写真をアップしない。
●理由や対象をはっきりさせず、ネガティブなことは書かない。
見る相手の気持ちになってみれば分かる筈。たとえば「すこしイヤなことがあって、ちょっと食欲ないんです…」と書いたとしましょうか。それを見た友達は
「私が昨日会った時に何かマズイことを言ったのかしら。」
「おとといの私のTweetを、何か違う風に捉えて気分を害してるのかな?」
「いや、一週間前に一緒に食事に行った時、あんな事言ったから気にしてるの?」
「いやいや、一年前にメールでやり取りしたあの事件を、最近のアレで思い出したんだきっと…」
これだけ無限大に広がる妄想のモロモロを、Tweetを見たあなたの友達が全員感じている、と想像してください。それでも気にせず、「好きなこと書いて何が悪いの?私はTwitterをハケ口に使いたいんだから!」と言えますか?
せめて→ネガティブなことを書くなら、読んでいる知り合いが「自分のことが原因ではない」と分かるようなヒントを添えましょう。
●書いていないことを、公開の場で訊かない。
そこに書いていないのであれば、書かない理由がある。理由は人それぞれ。表向きに書いていないことを訊きたいんだったら、DMやメッセージで訊こう。
(たまに、わざと書かずに「訊いてね」的なスタンスの人もいますが、そうゆう人は知らん。そのやりとり必要?)
●SNSをやっていない人に、「あなたのことが「●●●●」って書かれていたよ」とは言わない。
やっていない人にとっては、どう 書かれていたかも、どのように捉えられているかも、結局分からない。これは実際の文章の内容だけの話ではない。前後の文脈、何を受けて書いているか、それ に対してどういう反応があったか、まで含めてやっと、「SNSの中で自分がどういう風に書かれていたのか」のニュアンスが分かります。
悪い事であれば言わないのはもちろん当然として(報せることで何か被害を食い止められるなら別)、たとえ良いことであっても、本人の望む内容で褒められているかどうかは分からないから、結局相手は不安になる。(勘違いで褒められることのなんと多いことか)
つまり→SNSをやっていない人にとっては、そんなこと言われても、不安しか残らないのである。あなたにそんな権利があるのか?
(SNSを一切やっていない妻や友人を参考に書きました)
身近な人がSNS
相方はTwitterもFacebookもやっていません。会社の人もほぼやっていないか、やってても自分とは無関係でいます。というか無視してくれとお願いしています。
以下はその理由として話したこと。
例えば何かの話題を話す時に、それを以前にTwitterやFacebookで書いてることってママある訳ですよ。でもまぁ、流れによっては、そのまま一部を。もしくはすべて同じことを、話す。
そうすると相手は
●「それ、昨日Facebookで書いてたアレだよね」と付け加えるか
●まるで初めて聞くような素振りで、黙って聞いているか
どっちかの対応になると思うんですけど、
これどっちもイヤだよね。ということなんです。
年輩で目上の人が、明らかに以前と同じことを何回目かに話している。それを聞いた時の対応と少し似てる訳ですよ。どちらもあまり、気分は良くない。
だから毎日多く会話を交わす人とは、SNSでは極力無関係でいたいんです。他にもいくつかまぁ、細かい理由はあれど、ですね。
そゆことです。
最近変わったこと
●家にテレビが入った。
40型?くらいのテレビをもらう。でもやっぱり地デジは繋いでいないけど。
AppleTVとブルーレイプレーヤーを繋ぎ、もっぱらhuluとレンタル映画を観る時だけ、出しています。あとAppleTVがあるとiPhoneの写真を即大画面で皆で鑑賞できるのでビューワーとしても使える。iPhoneでNHKオンデマンドに繋ぎAppleTV経由で観る、なんてことも(解像度はDVDより高い気がする。やってみて驚いた)。
過去の地デジ関係で書いた記事は→こちらから。
●こたつを入れた。
新居ができてからは、「良い天板がない」という理由でこたつは入れてなかったんだけど、これももらっちゃって…。結局天板は今風なアレで納得いってないす。
ただこたつがあると、何と言うのだろう、リビングダイニングの中で集中線ができるというか。必ず家族が集まるのがいいかも知れないね。
ちゃぶ台を正方形から丸に変えた時以来の変革。
●iPhoneは6Plusに
iOS8のせいなのかハードのせいなのか結構ダメな所も多い。そしてもっともダメなのがデザイン。あまりに恥ずかしいので、Apple製品で初めてカバーを買った。今後Appleのデザインはどうなっていくんだろう。
●娘達が子供部屋で寝るようになった
姉妹二人で寝られるベッドを子供部屋に設置した。どうせ寂しくて帰ってくるだろうとたかをくくっていたら…
長女(7歳)はその日から朝までぐっすり寝るように。次女は最初の数日は夜中に両親のベッドに戻ってきてたけど、最近は普通に朝まで子供部屋で寝られるようになってしまった。
あっけなくて、寂しい。次女だけ実家に行っている時などは仕事から帰ったら長女の隣で寝たりしていて、その時はとても喜んでくれるんだけど、おそらくあっという間に嫌がられるんだろうな。今のうちだけ。
夏本番/バルミューダGreenFan2レビュー
7/26(土)から1週間、毎日30度を超える真夏日。35度を超えた日も2〜3日あるかな。毎日海に行っても良いくらいの好天気。たまに夕立。
寝室は新しく購入した扇風機「GREEN FAN」だけで冷房はつけていない。
リビングは連日冷房が必要。扇風機併用。
久しぶりに家電を買ったので簡単にレビューしましょう。
一年前の型落ちモデルを近所の電気屋さんで買いました。
私が今も使っている扇風機は→コレです。何年製だったろう…70年くらいかな。最近の扇風機のことは殆ど知らないので、それを前提に読んでください。
●「自然な風」云々の前に、まず風力が弱い!というのが第一印象。4段階あるうち下の二つは、これまでの扇風機の感覚から言ったらいずれも最小以下の印象。最大を4とすると、寝苦しい夜はいつも3です。とはいえコレで今のところは寝室は冷房いらずなので、電力と併せて考えれば良い買い物だったのではと思う。冷房は涼しくてもやっぱり具合悪くなることもあるしね。
●「自然な風」を実感できるかどうか。正直自分的にはあまり…。窓から時たま入る風があまりに気持ち良すぎて、これに比べると所詮扇風機の風、という印象(笑)。でも1、2は寝るときには良いです。この二つなら殆ど動作音が無いし。扇風機としての3万円の価格には誰しもちょっと躊躇すると思うけど、電気代考えたらそんなには高くないと思う。
●その美しいデザインに対して、素材感、高級感ははっきり言ってかなり低い。プラモデルかと。何しろ普段リビングで使ってるのが前述のアレだからねぇ。比較するのも…ですけど。70年前の家電・家庭用品ってすごく作りが良くて、他にもいくつか現役で使っているものがあります。
●最初に書いた「弱すぎる」以下の風力と風の質にこだわり、電力を大幅に下げたコレは(最近の扇風機を知らないけども)扇風機に対する考え方を少し変えてしまうほどでした。うるさくないし、電力もあまり気にしないので点けっぱなしで忘れても良い、という意味で。
コストパフォーマンスにはさまざまな考え方があると思いますが、まぁまぁオススメかな。デザインは良いし。
美しきスチル
『百瀬、こっちを向いて。』予告編を見る限り興味は湧かないけれど、このスチルはいいなぁ。
クラムボン「ある鼓動」
クラムボンが3.11のあと、最初に作った曲。PVは川内倫子さんが写真・映像・編集を手掛けているそうです。
増税前の買いだめについて
消費税が5%から8%に上がる直前の週末。バイパスを走っていたらいつもにもましてバカ長いイオンへの渋滞が見えた。ここしばらく報道されていたり、妻や周りの人から聞いてはいたのだけど、世の中では「増税前にいつもの品をできるだけ買いだめしておかなきゃ」という風潮がどうもあるらしい。お店の棚から日用品がどんどんなくなっているんだと。
えとですね。この話を聞いて即座に思ったこと、書きますね。
●5%から8%への差は3%。1万円で300円。まぁ日用品で1万円買うって相当なもんだけど。
●ガソリンが今レギュラーで1リットル170円。あの渋滞でどんだけガソリン使ってますか?
●まとめ買いってのは得するように見えて殆どは余計な分まで買わされて無駄が発生するモンだよ。
●わざわざ増税前に値引きするお店ってないよね。つかこの間のエコポイントのこと、覚えてないの?あのシチ面倒くさい手続きでやっと戻ってくるポイント。が、終わる前にも同じ騒動あったよね。で、最初から「エコポイント付与が終わったら売れなくなるから放っておいても後で絶対安売りするよ?」って予想されてて、まんまと、その通りになったでしょ?(むしろ安くなった)つまり増税した後で3%くらい普通に値引きになるよ?学習能力って…(略)
●あのイオンの渋滞、普段の時間から見てもお店に入れる迄に一時間近くかかるよね。帰るときにも当然渋滞。皆さんの持ってる時間って、そんなに価値の安いモンなの?皆さんの時間給って、そんな値段?
●あの渋滞と混雑のイライラ、それ数百円とか数千円で相殺できるモンなの?shiroは絶対に無理です。
皆さんお金が安いということに敏感なのかわざとなのかそれともお祭り騒ぎが好きなのか、イヤそもそもちゃんと計算してるのかな。色々と不思議なことの多い週末でした。
(別におれ一人の意見じゃなくて、この話をしたら妻も同僚も皆「同じこと考えてたよ!」って同意してましたよ。念のため)
美味しい福岡のお菓子メモ。
福岡うきは市の「葡萄家」の「豆たん」というそうな。
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ゆでたまごメモ
縫い針で穴をあけ、蛇口のお湯からスタートし、強火で9分。ちょうど良い半熟。固ゆでは11分くらいか?
『3.11を心に刻んで』より〜大友良英さん
「ダサいくらいなんだよ、我慢しろよ!」
(NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の主人公、天野アキが親友に向って言う台詞)
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80年代以降の僕ら日本人がたどって来た道をたったひとことでばっさり。そのくらい、このことば、わたしには衝撃的でした。
「ダサい」ってことばは、わたしの記憶にある限り、70年代の後半くらいから使われだしたように思います。それ以降、僕らは、正確にはオレたち田舎育ちの人間は、この言葉に縛られてきました。ダサいと言われたくない=洗練されたい、都会的と見られたい。とりわけ福島に育ち、東京に出てきたわたしのような青年にとっては、切ないくらいの呪縛力を持ったことばでした。都会育ちには、この感じ、わからないだろうなあ。
この「ダサい」をどうやって克服したかと言えば、自分がそれなりに自分の仕事をするようになり、社会に認められ、海外でも認められ……って、あああ、やっぱ、こう書くとオレめっちゃダセえ。でもそうやって、いつのまにかこのことばが恐怖ではなくなっていきました。
でも、否応なくそんな過去を思いださせたのが震災でした。なんで福島に原発があるのか。なんで事故がおこったときにこんなことになるのか。そのときに翻弄されるオレたち福島出身者や福島在住の人たち。「ダサい」という言葉に翻弄されていた自分と、2011年の翻弄される福島とがどこかで重なって来て、自分自身正気ではいられないくらい動揺しました。なんでだろう、最初はそう思いました。その謎を見事に解き明かしてくれたのが開沼博の書く『「フクシマ」論』(青土社)でした。「ダサい」に翻弄されていた自分と、田舎に原発が作られる土壌の見事なくらいの一致。震災と原発事故を経て、2012年に入った頃から、自分の残りの人生は地方と中央の問題をどうにかしていくことに焦点をあてよう……そう決心しました。
そんな中で、自分もその制作に関わって生まれたのがNHKの朝ドラ「あまちゃん」です。あそこには地方と中央の関係が等身大で見事に描かれています。宮藤官九郎さんの脚本は、決して難しいことばを使わずに、日常的なやり取りの中だけで見事にことの本質を射抜きます。今もことあるごとに、わたしはこの言葉を思いだします。なんでだかわかりません。でも、それが、地方と中央の関係を根底からくつがえす原動力になるような気もしています。二度と原発みたいなもんを作らないためにも。
(おおとも よしひで・音楽家)
『3.11を心に刻んで』より〜もんじゅくん
われわれは、まず、折あるごとに不満を述べあい、議論をたたかわし、役所に苦情の電話をし、新聞や雑誌にすぐれた記事を発見した場合には、手紙を書いて激励しようではありませんか。
その効果はあまりにも小さく、前途は気の遠くなるほど遥かです。しかし、これが、誰にでもできる唯一の道造りではないでしょうか。
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年賀状書き
やっと少し、雪遊びができる程度に積もった日曜の朝。明日も祝日で三連休。
今さらですが年賀状ができあがったので宛名書きを。今年からは長女も宛名が書けるようになった(漢字も!)ので一緒にがんばっています。そうだ、がんばってちゃんとした万年筆を買ったのも2013年だった。書くのが楽しい。
自宅のRadikoは今はTOKYO判定。iPhoneの「Radikker」というAPPも教えてもらって非常に充実オレラジオライフ。今はinterFM。
いじめは見ていて面白くないよ。
TBS・東京ポッド許可局の「ごちそうさん論」を聴く。ようはごちそうさん面白いぜ!って内容。
ごちそうさん、今までぽちぽち観てきて(週イチくらい?車のTVで)、どこかではまるきっかけないかなーと思ってたんだけど。ダメ。もうあの姑さんのいじめがダメ。許可局でも「最近の視聴者は甘やかされている。あのくらいのいじめは耐えて観なきゃ」的なことを言っていたけど、ダメ。あのいじめシーンで毎回断念。
分かりやすいので例え話で良く使うんだけど、『渡る世間は鬼ばかり』とかの嫁いびりを楽しく観れる気持ちが全然理解できない。なんでテレビの中でまで、放っといても世の中に溢れているイヤなことやイヤな人のイヤさと向き合わなければならない?それに対抗できていない人の無念さを眺めていなければならない?そんなパワーは少しでも現実世界の為に残しておきたいです。是非に。
耐性を付けるっていう意味は、あるかもね。でもそれは自分にとって「訓練」であって、決して「楽しいテレビ鑑賞」ではありません。
自分とまったく同じ気持ちの人も身の回りに結構いて、上記のようなことをよく話すんだけど、出てくる話の1つが「どこを面白がっているんだろう」ということ。いじめる方、いじめられる方、誰(どっち)に感情移入しているんだろう。とか。仕返しの時のカタルシスは確かに面白いだろうけど、仕返しを観たいがためだけにずっと耐えてるのかなぁ。そんなことはないはず。きっと気分の悪いのもいやーな感じもすべて含めて「テレビ体験」「映画体験」として消化できる、面白い体験にできる能力を、「観れる」人たちは持っているんだろう。
ごめんなさい。こんなことを書いてはいけなかった。と胆に命じていた筈なのに。面白く観れている人の方が世間では大半。こんなこと書いたって読んだ人のほとんどにとっては至極至極当たり前のこと。はぁ?というか、disられたかのように感じるだけだよな。
恐らく30を過ぎた頃から、30半ばになったらもう完全に、映画とかテレビに対して「怖いもの観たさ」とか全然なくなってしまった。エログロはまだしも、残酷系は全般にダメ。拷問、殺人とか。また特に子どもが絡んだり死んだりするものは絶対に観れない。「観れない」ってなに?と「観れる」人は思うでしょうけど、感情移入しすぎて「映画体験」から外れて自分の気持ちがガタ落ちしちゃうってこと。終って「ああ良い映画体験だった〜」なんて思えない。たとえ最後がハッピーエンドだろうが何だろうが。機会あるごとにそのシーンだけが甦り、具合が悪くなる。なんのためにお金を払って映画を観たのか分からない。
ええ、この条件で言うと世の中の話題の映画の半分以上観れないんじゃないかと思います。その通り。それで全然結構。だから何度も書いているけどタマフルの宇多丸さんとは全然趣味が合わない(彼の生涯ベスト『アポカリプト』はそういう意味では最悪だった)。レビュアーとして面白く聴いています。園しおんさんの残酷系もいっこも観る気にならない。
ああすっきりしました。このサイトのテレビ・映画レビューもこんなような特殊な感情ベースの上で書いていますので。アシカラズよろチンピク。
2013冬初雪
朝起きたら若干白かった。だけど昼過ぎには雨に変わる予報。山下達郎の歌とは逆だな。