舟之川聖子『「頭髪検査」廃止に立ち上がったいち保護者から見えた学校のこと』(ひととび〜人と美の表現活動研究室)読了。
今年のふふふのzineで買った『B面の歌を聞け vol.4 〜ことばへの扉を開いてくれたもの」に掲載されていた作者のインタビューを読んだのがきっかけ。
子供の中学校で行われていた頭髪検査に対して疑問を抱き、それを止めるために活動をはじめ、その過程で「権力が使うことば」に気付き、それに対抗する手段を考えたという、長くないインタビューだった。最後に紹介されていたこのzineを、すぐに注文した。
自分も今高3と中2の娘がいて、PTAの委員などの経験もある。いずれもすべて公立学校だが、特に小中学校において、自分が学生だった40年前と、まったく、そのまま!同じ憤りを、そのまま親になっても抱くとは思わなかった。
自分が接してきた学校では、この頭髪検査のような「立ち上がらずにはいられない」事態はなかったのが幸いだが、ところどころであり得ないようなことはあったし、都度必要な場合は、書面や口頭で相談(という体の抗議)をしてきた。その結果少しでも変わったこともあるけども、お決まりの「言葉」で、なかったことにされたケースが殆どだったように思う。
このzineは、そうして感じた、自分の力不足ゆえの残念な気持ちを振り返りつつ、同士は確実にいるんだという勇気と、そして具体的・実践的な戦術・ノウハウを与えてくれる。
未だこの国の学校に根深く存在している「子供は放っておくとけしからんもの。その子供を優れた理想像へと先生が引き上げていく」という物語。ケアでなく支配。おかしな校則の裏にあるこの空気、誰もが感じたことはないだろうか。軍隊でもない教育機関で何故このようなことが…と思うあの仕組みについて、徹底的に、気持ち良いばかりに舟之川氏 seikofunanok が言語化してくれる。
この気持ち良さをなんとか表現したいのだが文章力も語彙力も全く追いつかないので、すみませんが写真でいくつか引用させていただきます。
彼女の抗議活動が気持ち良い結末に終わった訳ではない。気持ち良いのは作者の言語化、抗議の過程とそのロジックであり、対する学校側の反応は…やはり見慣れているアレなのだ。あの構造から抜け出ることはない。
そのことは「はじめに」でまず書かれている。
これは、「対話して相手の状況を知ったことで、お互いに漠然と抱いていた不信や不満が解消された」という類いの話ではありません。残念ながら。
しかし作者は続ける。
この本で特定の学校や人物を料弾する意図はありません。それよりも、自分の家族や自分自身が理不尽な日に遭い、尊厳が損なわれたときに何ができるかを示したい。そして、このような人権侵害の行為を生み出す権力と差別の構造を誰が支えているのかを問いかけたいと思って書きました。これは学校だけで起こっていることではないとも思います。
この本が、苦しみの渦中にいる人、動きはじめた人を励ますものになれば幸いです。
自分は、日本の学校が持つこの権力維持構造が、子供に与える、ひいては自分達の未来に与える多大な影響を、心から憂慮する。
「こういうものだし、解決方法なんてないんだよ。日本人らしいよね。良い所だってあるし。仕方ない」
などとは、絶対に見過ごせないと思っている。
以前紹介した『怒りzine』と併せ「怒りすっきり系」として、大いにお薦めします。
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