野口理恵『生きる力が湧いてくる』(百万年書房)読了。
秀逸なタイトルだ。読み終わって改めて思いました。
出版社「rn press」を主宰する筆者の自伝的エッセイ。
母親、兄、初の担当漫画家を自死で失った経験、離婚、子育て、自らの道を歩む(はたから見たら恐らく)少し個性的な彼女の、日常を綴る。
…的な様相で前半は進むのだけど、
半ばに、明らかに筆者であろう「N」のことを語る他人目線の小文がいくつか入り、様相が変わる。彼らはNのことを「秘密がある」「人を見下す」「心を開かない」「すごく怖い」と、エピソードを交えて語る。
この文章が本当にNの知り合いが書いたのか、それとも野口による「USO」なのか文中では明らかにされない(彼女の発行する雑誌『USO』は未読だがそちらを読むと明かされているのかもしれない)。
ただ、他人の目を通した語りによって、それまで一人語りだった野口の、その人となりがいくつもの片鱗をまとい、まるで読者の周りにいる「会社同僚の鈴木さん」や「大学生の同級生佐藤さん」のような具体性のあるビジョンになってくる。
一方で、Nは決して私達の周りの鈴木さんでも佐藤さんでもない。何故なら我々はすでに文章でNの心の内を深く覗いているから。
「人を見下す」「心を開かない」「すごく怖い」のは何故か。
なぜそのように「表面上」なってしまうのかが、前段の文章からよく分かるのだ。結果、作者の姿がより立体的に見えるようになっていく。
自伝エッセイなのに筆者を批判する文章が挿入され、その後にさらに筆者の「証言」が入り反論のようなものが行われる。この落ちつかなさも、本書の魅力だ。人から見られる自分とは、ということにも改めて考えさせられる。
自分は誰も自死で亡くしていないし、両親もそこまで不仲ではなかった。妻や娘それぞれがもつ症状や自分の特性が原因で辛い思いもあったがなんとか超えようとしている。筆者とは全然違う立場にいると思う。対極と言ってもいいかも知れない。
だけど、彼女の気持ちと自分のそれがクロスする瞬間が、いくつも立ち現れる。なんというかこれぞ読書!な醍醐味を味わっているように思う。
そして、自分が何故こんなに苦しみつつ稚拙な感想文を書こうとしているのかも、良く分からない。たしかに言えるのは、時間が経った後で自分のレコメンド文を読み返すのが好きであること。そして同じものを見聞きした人と感想を交わすのがとても楽しいこと。今はこのために書いている。できるならばもっとスムーズに、楽しく文章を書いてみたいものだが。
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