たまの大雪と、異常な暖かい冬(2023-24)

今期の冬は、12月中旬に1回ドカ雪が降った後は降雪が異常に少ない。1月に長岡や魚沼に行っても、信じられない位の積雪の少なさ。20cmとか。

そして2月に入ってから快晴の週末が続きこれは嬉しい!と思っていたのだけど
2/17土-18日-19月は、軒並み最高気温が18〜20℃超え。
しかも快晴。本当に新潟かと。

今後冬はどうなるのかしらね。

2023年元旦、能登半島地震

2023年1月1日16時頃、能登半島地震発生。
地震メモ。

【その時】
部屋の中が殆ど戸のない棚置き収納な事もあり、大きな地震は怖いだろうなぁ、と常々思っていたのだけど、実際に震度5強がはじまると、その揺れ方は完全に今まで経験したことのないレベルで、そうなるともう、どこか映画を観ているような気分だった。(でも不思議と落ちるものはなかった)

こんな時に自分は気持ちが切り替わるようで、怖いという気持ちは殆どなく、ただ対処するだけの「緊急モード」になる。問題は焦っちゃうのをなんとか抑えること位。
直後に津波警報がアナウンスされ、とにかく1秒でも早く移動することを考えて家族を急かす。

【避難】
そこからおよそ5分程度だろうか、とにかく猛烈に急ぎで準備をして、すべて詰め込んだクルマで家族全員動き出す。自分達の住まいは新潟市名物の巨大な砂丘の影なので、余程でない限り津波の心配はない。どっちにしても練習になるよと二人で子供達に声をかけながら、頭の中では常にもしもを考え準備した。海岸側の人たちはどうだったんだろう。津波に対しては正常化バイアスが一番怖い。NHKのアナウンサーの叫ぶような口調は何度も練習したところをなんにしても人口密度が低いのは(渋滞度が全然違うので)ありがたい。

【イオンは大渋滞】
ゆくゆくを考えて少しでも便利そうなイオンの屋上にまず向かったが、そこに向かう通路が大渋滞しているのが遠くから見えたので早々に諦め、もっと近くにあるパチンコ屋の立体駐車場へ入る。

ここはまったく人が来ていない。自分達のあと15分程度経ってからかなりクルマが増えてきたけど、最終的にもキャパの四割程度しか入ってなかったように思う。改めてこの場所を我が家の避難場所として、全員で再確認する。
周辺道路は10分経ったら道路渋滞が始まっていた。これは避難するというより店に来ていたお客さんが急いで家に帰る車だろう。

イオンなどは、少し離れている場所だと通路が渋滞して避難には厳しいように思う。数分を争う津波避難では致命的じゃないだろうか。

なんにしても1月1日の明るいうちに起こったのは不幸中の幸いに思える。家族が揃い、出掛けている人も少ない。働いている人も普段に比べ少ないとは思うが、こんな時に勤務されていた方の気持ちはいかばかりか。ご苦労様でした…。

避難道具は普段から備えているものを屋外物置からすぐに持ってこれたが、これも地震が収まったから、だろうな…。あとガスコンロのボンベを買い忘れていたのが痛かった。今日明日にでも買おう。

【トイレに困る】
避難時に早速困るのがトイレ。もちろん災害時携帯トイレは常備しているが、今回のような事態だと近所のお店はすべてクローズしているので、避難した後の当面のトイレにとても困る。地震後すぐに家で娘達にトイレを済ませた奥さんの英断。

今回はパチンコ屋の復帰がすごく早かったので、尿意の近い自分は助かった。パチンコ店は恐らく勝ち分の玉やコインの扱いがあるので、一旦全員が店外退避した後、第一波の津波警報がガンガン流れる中でも入り口の前で再開店を待っているお客がとても多かった。つまり「パチンコ屋は復旧時の一時開店が早い」のかも知れない。

しかし断水しちゃったら、お店が押し寄せるお客さんにトイレを使わせることはできないし、やはりトイレが一番の問題になるのかも。最近の公園は下水マンホールのような臨時トイレスペースを確保しているが、近所ではあるのだろうか…これも調べておこう。

地震メモ、その2
【新潟市西区の被害】
一夜明けて色々被害も明らかになってきた。新潟市西区は新潟県の中では一番メディア登場が多い。避難先との往復しかしていないので全体的な状況はまったく分からないが、砂丘のふもと近辺(旧116号そば)で、液状化や地面割れの被害が多かったようだ。

大学の先生がコメントしていたが、プレートというより砂丘の砂が問題らしい。家が傾いているところも数軒あるようだ。新潟市全体が砂地のせいで液状化に弱く、今回被害の多かった場所はその中でも特に弱い場所だった、ということ。

【災害時のメディア】
●SNSの中ではやはりXを見る。しかし時系列に並んでいないので本当に不便。結果たまにしか見なかった。公共とも連携していて情報収集に便利だった10年前とは全然違う。

●車はガソリン節約で極力エンジンを止めていたから、緊急時の手回しラジオがとてもありがたかった。簡単に使える。ずっとNHKラジオを流していた。

●しかしNHKメディアだけではローカルニュースに弱い。地デジが見られる環境では地元局のニュースが細かい情報を流していてありがたかった(だから何だという訳ではないけど、知らないと不安だ)。

●TVでは、数時間経つと全局が震災情報ばかりというのに疲れてくる。子供だけでなく大人も。当たり前のことだけど震災情報はほぼ被害のことを報告している訳だから…。結局当日の夜は、全員1階リビングに布団を移しいつでも出られる状況で、紅白歌合戦の録画を流しながら寝た。震災情報以外のチャンネルが欲しい。新年のお笑い番組でも何でもいい。

【明けて、今日】
2(火)は感じられる余震がなくて、そのおかげで気持ちはすぐに通常モードに戻った。すぐに出られる準備はそのままキープしつつ、箱根駅伝を楽しんだり何となくの正月を楽しんでいます。

もともと正月期の我が家は家族が一番バラバラに好きなことをしていい日で、正月料理どころか料理自体もほとんどなく、あるもので好きに過ごすのが恒例になってる。いつ地震が起こるか分からない中で外出できないのが不便な位だが、映画観たり読書したり寝たりしてます。

報道がアレなので新潟市西区在住というとご心配いただいていましたが、我が家はこんな感じでした。

せめてこれから大きな余震がないよう、現地の方のご無事をお祈りします。

初のCOVID-19陽性に

陽性確定〜
とは言え既にピークは越えて平熱なのでした。ワクチンのおかげ。でも多分ワクチンのせいで3〜4日は抗原検査陰性の日が続いていた。
それを根拠に人と会わずに良かったとつくづく。

手違いで病院でも通信でも両方PCR検査を受けてしまったのだ…↓記念に置いておきます。

医療社団法人青い鳥会でございます。
下記、検査結果証明書でございます。ご確認ください。
__________________
検体採取日: ■■■
検 査 方 法 :唾液によるRT₋PCR法
検査結果日: ■■■
検査試薬名: TaKaRa SARS-CoV-2 Direct Detection RT-qPCR Kit
========
結果(Result):陽性(POSITIVE)
========
__________________
上記の通り報告いたします。
検査結果は、送付された唾液サンプルに対しての検査結果となります。

家族初の陽性

妻がCOVID-19陽性発覚。

もとより外部との接触が殆どなかった妻が、ほぼ1年ぶり位に町内の呑み会に誘われ、そこで隣席だった人が翌朝陽性に。しかもワクチンを5回打っている医療関係者だったという、どこからどこまで運が悪いんだという話。(ちなみに自分は1か月ほど前に4回目終了)

もともと仕事はそんなに忙しくなかったので(これはこれで本当にメンタルをやられているが)在宅でできることは在宅でこなし、妻を家庭内隔離状態にして家事全般をやってる。

しかし、家事とリモートワークの両立、マジで難しい。

仕事が少ないおかげでなんとかこなせているものの…ホントに妻はじめ世の中の主婦の方々リスペクトです。

数ヶ月前から始めている「1週間の献立を前もって決めて日曜に買い物を済ませておく」ルーチンのおかげで、自分でもなんとか料理をこなせている。娘2人は濃厚接触者扱いで5日間は学校に行けない。

妻の病状はインフルエンザ程度。辛いけど、「水も呑めないほど喉が痛い」などの症状は出ていない。不幸中の幸い。このまま軽症で済めばなにより。

仕事の絶望がなければ、それなりに楽しい日々ではあるんだけどな。

そして今(0:30)やたらと喉が痛い。咳はでないのだけど。頭痛も酷い。
ああもう勘弁してね。

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追記

妻の3日後に次女が、4日後に長女が陽性に。
いずれも半日で熱が39℃まであがる超特急高熱。
長女が罹った頃には妻がかなり回復していたので、これを気に自分だけ逆隔離で会社生活に突入した。

これまで自宅では1室に監禁状態だったコロナ勢も、俺一人が家を出ることで、これまでと変わりなく生活ができるようになった。これが何より。
また、長女がこの半年何より楽しみにしていた12月第2週の友人とのディズニー行きも、これで行けることが確定となる。実はココが1番心配で、下手に時間差で感染しちゃうとダメだったし、罹らないでいても毎日の気の使いよう、心配も半端じゃない。

とにかく不幸中の幸いだったのが、俺以外の家族がそれほど時を空けずに感染したことかな。この1週間は俺が全部家事をやり、今日(11/27)からはバトンタッチ。家の中を全部感染者にすることで、これまでと同じく生活ができるようになった。

家の中での隔離は本当に気が滅入る。何が嫌かって、感染防止がどこまでやっていいか分からず、常に一寸先が闇状態ってこと。感染はある時いきなりやってくる。このストレスたるや。

大人(妻)が一人で感染している段では、1室での隔離にそれほど不安はなかった。
次女が罹ったら「ああこれはやばいかも」となる。聞き分けのない小学生がどれだけトイレの消毒をちゃんとできるか、あちこち触らずにいられるか。1室監禁のストレスに耐えられるか。だから長女が陽性になった時はホッとした。これでお互いマスク生活から逃れられるからだ。

1週間後に絶対休めない仕事がある自分は、この逆隔離まで本当にメンタルがキツかった。なのでやっと開放された気分だ。

あと1週間、なんとか切り抜けたい。

2022年の花粉症

5月GWの最後に「おお!来たぞ!」て日があったけど、その後は1週間に数日鼻が出るくらい。薬を飲んだのは通算で2回程度。

そしてそのまま、気付かないうちにシーズンは終わった。

2021年もほとんどなかったみたい。

別にCOVID-19のマスクがそれほど影響しているとは思わない。リモートワークで一人だから会社でも、元々外でも付けていない。

ブタクサ、イネ科花粉症は収まってきているのか?それとも自分の体質変化?

東京オリンピックの地獄

書きたいこと・本来は書き残さねばいけないことが有り過ぎるのだけど、あまりに多すぎて、あまりに気力が削がれて、記録できない。

どう考えてもやるべきではない東京オリンピックが、いよいよ開催された。

と同時にとんでもない感染者数の増加。昨年6月は東京1日30人程度で「東京アラート」なんて言っていたのに、今は東京1日3000人オーバー。これも有症状者のみの検査結果だから、一概に他国とは比べられない、実際の状況を表しているとは言えない数字だろう。

インド由来・デルタ株の発生でことは大きく変わった。空気感染の可能性が出てきた。
ひとたびCOVID-19収束を宣言しマスクなしで大規模イベントを開催しはじめ、GDPも感染以前まで回復した筈のアメリカでさえも…このデルタ株のせいで急転直下。

今年の夏秋、世界がどうなってしまうのか分からない。恐ろしい。
でもこの恐ろしい世の中にあっても、その実感は人によって極端で、罹患していない人は気にしなければいつもの日常だ。一旦罹患するといつ死ぬか分からない(病気が殺すのではない。医療崩壊が殺す)恐怖に突き落とされる。
人によって症状が天地ほど違うのがCOVID-19の特徴なんだけど、これはきっと戦争とかでも言えるんだろうな。そう思ってないと自分達はきっと生きていくことができない。

「感染は明らかに広がるだろうけど、一旦始めてしまえばもう国民は金メダルの喜びであらゆることを忘れる。政権の感染対策の愚かさも、失敗しかないこの数ヶ月のことも。」
そういう意図で完全に政治利用のために(公言もしている)開催されたオリンピック。

いざ開催されてみると、想像以上の心理的作用があった。

オリンピックは見ていて楽しい。盛り上がる。やっている間はCOVID-19のことなんでおくびにも出てこない。
つまり画面の中でだけはユートピアが繰り広げられているのだ。

このことが、もう心配などをとっくに通り超して、癒やしや「救い」となっている。

我々の危機的状況を導いた、運営としては本当に糞のようなオリンピックだけど
その内容が、頑張るアスリート達の姿が今、心の救いとなっている。

何しろ今このオリンピックが終わったら、目の前には地獄しかないのだ。

オリンピックで盛り上がって政治の失策を忘れるとか、そんなレベルではない。そんな訳はない。

今はただ、この夢の世界に浸っていたい。そう思わせる。それ位、世界に救いがない。我が国に救いがない。
そんな今。2021年夏。

体中がぼろぼろ

●1か月ほど前から唇のぴりぴりが直らない。皮膚科に行っても原因不明。歯科治療と同時期に始まったので関連を疑ったが、明らかに違っていた。

●右の二の腕が、手を伸ばすと激痛。これは2ヶ月ほど前から。ほぼ変わらない。

●昨日の昼から、左の脇の下が痛い。声を上げるほど痛い。保冷材を挟むと良くなるが、外すと元通り。

●顔の皮膚がピリピリと痛い。お湯を掛けただけで痛い。

2日にいっぺん位は何らかの体調不良で仕事のやる気が起こらない。これが年をとることかと思うとげんなりする。

家業を継ごうかと子供に言われた時の反応について

中3長女が何かのきっかけで「お父さんの会社継ごうか」的な話をした時。

(そもそも会社があるか分からないし、死んで借金やっと返せるかどうかみたいな状況に娘を巻き込みたくないので)
「それはオススメしない」
と即答したところ妻から
「親にそう言われるのって結構ショックだからやめた方がいいよ」って
その場で言われた。

もちろん子供だって本気で言っている訳でもないのだけど、対する親の反応、言葉が結構なショックとなって、後に残る、そういう意味だ。

何でも自分が経験したそうで。
確かに義父の商売は、妻にピッタリの職種だったと思う。

申し訳なく思いすぐ長女に話した。
「君はデザイン業に向いているしぜひやった方がいいと思うけど、今お父さんの会社はコロナもあって色々大変だからついつい言ってしまっただけだよ」

でも一番大切なことを言ってない。
もし会社をちゃんと経営できていたら、その言葉はすごく嬉しかったっていうこと。

後でちゃんと言おう。

2021年の花粉症

5月GW中に一度、すごい時があって「あ、これで始まるのかな?」と思いきや、
その後はパタリと来ない。

●17日現在までほぼゼロに近い状態。いったい今年はどうなっているんだ?

長女、落ち着く。平和期訪れる。

半年位前までは、いつ明けるとも分からない妻と長女の100年戦争状態だった。いや戦争にもなってないのか。妻が一方的にダメージを喰らってた。

それがここ数か月変わった。最初に多分長女が変わって、それにつれ妻も自分も少しずつ変わってきた。

おかげで今は、時たまの衝突を除けば至って平和。どころか本当に家族皆がお互いを好きになっていて、素晴らしい期間だと思う。

こんな状況は、どんなに願っても宝くじで1億円当たったって、そうそうできるものではない。奇跡のように恵まれた境遇だと思う。

じっくりと味わなければ。

仕事は何もなく最悪で後のことを考えたくもないが、まぁ会社が潰れない限りはまだマシだろう。

ひたすら土日を楽しみに待つ日々。

こないだの日曜は、会社に娘二人が来て勉強をしていた。その間自分は雑務と読書、弁当用の買い物など。こんなに勉強ができる長女が素直にすごいと思う(次女はそこまで保たない)。何も外出はないけども、本当に幸せな休日。

とにかくすべておかしいまますすんでいく

風呂上がり日記

ブログを更新する気にならない。

今、COVID-19のせいで世間を覆っている、地獄のような様のことは特に。

皆、しょうがないと思ってやっている。

次女の松葉杖がなくなった。家族は皆元気で、妻と長女の恐ろしいガチンコはしばらく起こっていない。小康期。

と、ここまできて、何を書くためにMacBookを開いたのか忘れてしまった。

いつもやってる、バギングワインをトニックウォーターで割って呑むやつが「スプリッツァー」という名前で存在していることを、高山なおみさんの『帰って来た日々ごはん』で知った。ことかな。

いや、妻の紹介で行った美容室がとても良くてウン十年ぶりに「行って良かった」と思えたことか。こんなの人生で何回もない。部分パーマをあててもらって、えらく具合がいい。

このことだったかな。

いや
この「色々細かく言えばあるけども、特にはない」という平穏状態がどれだけありがたいことか。値千万円なのか、ということを、3.11が近づかなくとも日々実感できることが、中学生以来の自分の悲願です。

齢50を越え、いよいよ自分が何者にもなれそうにないことを知った今、理想のこんなスキル、あんなスキルも身につけることはできず、死ぬまで学びつづけ精進するような人間ではないために大幅な進歩も期待できないだろう自分に、時折絶望したりもするけども、肝心なのは「今ある」ものごとの実感。今ある幸せへの実感。

その点では、自分は本自分の幸せを噛み締めていると思う。自分的にやるべきことをやっている。
だからと言って「明日死ぬ」と言われて納得できる訳はないのだけれど。

COVID-19いよいよ大変

2021年年明けから東京の1日あたり新規感染者数が1000人を大幅に超えるようになり、いよいよ爆発的増加に転じたようだ。

東京に2、3日遅れて全国11都道府県が緊急事態宣言発令。

検査態勢の強化、無症状感染者用のホテル確保や生活フォローについてなど、2020年春から散々識者に指摘されてきたことが、全世界から言われてきたことが、今になってもまったく対応されていなかったことが分かり、唖然。
この上で「COVID-19に打ち勝った証しとして」東京オリンピックを数ヶ月後に開催する!などと未だ言っている始末。

この国はダメだ、本当に駄目だ。
政府が駄目というんじゃない、きっと我々の国民性が駄目なのかも知れない。緊急事態にとことん弱い。おかしな方に弾けてしまう。

店舗などの開店自粛要請についても、補償は殆どないに等しい額で、時短に応じないと店名公開だとか、罰則の方を作りはじめた。
全国民一律の給付金は昨年1度出たきりで、2回目の話もない。

今の政府にとって「国」は「国民」ではないのだな。
ブログを更新する気にもならなかったが(家のお籠もり生活は楽しくて、家の外のことを考えなければ極楽であったので)、毎日毎日正気を保つのが不安になってくる位。

ほら、おかしな話が出始めたよ。

2021年1月の豪雪

2021年1月9日(土)から大雪。2018年の大雪と同じタイミングで、同じような量が3日間降った。

【2018年の天災】記憶にない位ハイペースの豪雪(2018年初からの雪事情まとめ)


今回は既にリモートワークに入っているので全然楽ちん。予報を見て8日(金)の午後から自分も在宅に移り、連休明け12(火)からも在宅で、会社には一切行っていない。

今回も雪除けは最低限にして、お籠もり生活を楽しんだ。コロナ禍で外出を控えなければいけないから、一層だ。

前回と違い、子供達はそれぞれスマホを持ち、長女は親の端末でNetflixを観るのを趣味にしている。そしてSwitchの「あつまれ!どうぶつの森」を12月の次女入院時から導入しているので、家族4人それぞれ自分のアカウントをもって、交代しながらやっていた。こういう時期には本当に最適。その他にもそれぞれでスマホゲームをやったりしている。長女はゲームよりもインスタやYouTubeが好き。

つまりこれからはもう、家族全員で一つのことをやったり、4人で映画を観たりといった機会がどんどん少なくなっていくんだろう。だけど同じ場所(リビング)には居る。これが今後の「家族の団らん」になっていくんだな。

相変わらず雪解けの状態が最悪。
次女はギブスなので小学校への送り迎えをしなければいけないんだけど、今朝は学校近くのほんの100m程度の距離を進むのに40〜50分かかった。しゃばしゃばの砂地獄のような雪であちこち車がスタックして、みんなで掘って押して…の繰り返し。今まで体験した中で最悪だった。

やっとのことで小学校に辿りついたけど、これでは迎えに来るのが大変なので、結局先生に話して連れて帰った。次女も在宅、俺も在宅。妻は昼に喘息の診察を受けるためにPCRとインフルエンザの検査に行ってた。明日結果が出て陰性ならやっと喘息の診察・治療を受けることができる。

今日は1日気温が高く雨も降ったので相当溶けた。明日は5日ぶりに会社に行ってみる予定。

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この1週間後の週末(1/16-17)に、この時の8割程度の大雪。
固まった雪が溶けないよ…

交通事故

11月某日、次女が帰宅中、車に軽く轢かれた。
足首の複雑骨折。歯が一本折れて、顔面打撲。幸いにしてアタマと内臓には問題なかった。

「朝、あのカーディガンを着てきたら、こんなことは起こらなかったのだろうか」
「昨日、忘れていたこの精算分を妻に出していれば、こんなことにはなっていなかったかも知れない」
考えてもしょうがないバタフライ・エフェクトがいくつも頭をよぎる。

もしこれで彼女が亡くなっていたら。
自分達は一生、今日や昨日の行動を、
何の意図もない普段の行動を
悔やみ続けて生きていくのだと思う。

世の中で一番大切なものを失った時に
「仕方がない」
なんてことを思える日が、果たして来るのだろうか。とても想像できない。

「こんな時にあらためて実感するのは、普段の生活の大切さ」
なんて良く言うけども、
こんなことが起こらなくたって、
毎日、それこそ毎日、
なんてことない日常の大切さを、実感していた。愛していた。
だけど、来る時は来る。

病院に駆けつけた自分よりも
現場に駆けつけた妻の方が何倍もキツかったと思う。
ERであの姿を見た時のショックは、なんとも例えようがない。
マスクをしていて、良かった。
「大丈夫だよ、すぐ良くなって、遊べるようになるから」
その嘘の笑顔がバレなくて済んだ。
娘は目はうつろ、返事もほとんどできない状態だったけど。

あれもできなくなったり、こんな楽しみを失ったり
いつも一緒に寝るのを楽しみにしてくれてた彼女は
今とこれから、どんな気持ちになるかを想像すると
どうにもやりきれないけれど
まだ、戻れるんだから。良かった。

紙一重で、助かった。
なんて恐ろしいんだ。

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4日後の追記。

事故当日の後は2日ほど、悪夢で目を覚ました。
1日目、山の中で家族がクマに襲われ、二手に分かれて逃げてしまう。そのことをずっと悔やむ夢。
2日目、「あ、あの3日前に亡くなった…」という会話を聞いて飛び起きた。しばらく動悸がおさまらない。

夢から覚めたのに、その悪夢は完全に夢じゃなかったことに気付き、落ち込む。

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5日後の追記。

家事を全部やっている。といっても未だ妻が予定していたおかず用の食材があるので、それを作っているだけだ。
料理は作るのは何ともないけど、「メニューを決める」「必要なものを整理して買い物をする」のが本当に大変。実感している。
COVID-19のせいで面会は一切できないけど、ビデオ通話も動画も見られる。毎日毎日治療とリハビリに頑張っている次女を見ることで、精神的には大いにリカバった。
骨折は痛み止めがあまり効かず、夜は痛くて泣いているようだ。

家では長女と二人、少し新しい関係。今まで最高に折り合いの悪かった妻と長女が離れること、俺と二人になることでまた新しい気付きや体験がある。
この経験は無駄ではないし、きっと今後のためになるな。

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1999年のWEB日記時代から始めた個人サイト。ブログ移行にあたって過去記事も抜粋してアーカイブしています。
(HTMLサイト→SereneBachブログ→WORDPRESSブログと転移)

好きな漫画(2014年版)はこの記事の最後に。

最近は(インスタ)でアップしているTV・映画感想の投稿を、半年に1回くらい一気に転載しています。

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