大崎善生『聖の青春』読了。間違いなく今年ベストに入ると思う。
インスタに「原作を読まれて再度作品をみるとまた違った感想を持たれるかもしれませんね。」とコメントいただいたけど、その意味がとても良く分かりました。未だ映画再見はしていないのだけど、一度目の鑑賞を思い出し、忘れないうちに書いておく。
映画は聖の晩年のみを映像化したものだったけど、そこに至る背景を知ることで、同じシーンを観ていてもその意味合いがかなり変わってくる。映画は原作をあちこちで(時に大幅に)改変しているけど、それが悪い訳ではなく、初見者には分かりやすく、原作既読者にはまた違った意味をもって伝わるような、ある程度納得できる理由を感じた。
一番大きな印象の違いは、聖の人物像。映画は晩年なので病の描写も相対的に目立ち、どちらというと気難しく強情で、他人のことより自分の勝利のみを考えている天才肌で自分勝手、といったイメージ。
これが原作だと、病には苦しみながらも、誰とでも公平に接し、嘘は無く実直で他人のことを思いユーモアもあって、棋士仲間に愛されていた姿が浮き彫りになっている。一番関係の深かった森師匠の描写もずっと深くなっていて心打たれる。
映画で描かれるのは原作の中の「ほんの一部」、人生の終盤のみでもちろん多くが省略されている。映画の見方が変わるというのは、原作にある「それまでの物語」を知ることで、その「ほんの一部」を関係者がどのような気持ちで作ったか、演じたか、が分かる(気がする)から。あの局面に至るまでに何があったのか、映画中では多くを語らない聖の胸の内に何が秘められていたのか。あの瞳の奥にどれだけの努力や絶望、眠れない夜があったのか。原作を読むことで聖への愛着の度合いは格段に変わった。「『3月のライオン』の二階堂のモデル」とこれまで気軽に書いていたけど、羽海野さんがどんな思いで二階堂を描いていたのか、今まで知らなかったその思いの、何十分の一かでも分かった気がした。
他にも書きたいことは山ほどあるけど、ひとまず。素晴らしい一人の人間の生涯を知ることができて幸せでした。
(師匠である森信雄さんがブログを今も続けられていて、聖の写真と想い出が沢山載せられています)