Netflixオリジナル映画『マリッジ・ストーリー』鑑賞。
スカーレット・ヨハンソンとアダム・ドライバーの倦怠夫婦離婚もの。実際に女優との結婚&離婚体験を持つノア・バームバックが監督。
裁判や親権争いのリアルさが本当に辛く、途中で「無理…」と思い挫折しかける。が、最後まで観て良かった。大傑作だと思う。ROMAのように、「ネトフリ映画クオリティ」を超えている一本。脚本が素晴らし過ぎるし、それに合わせたシーンの設定、カメラアングルも巧みで、苦しみながらその皮肉に笑ったり唐突に泣かされたり、まー忙しい。
これはもはや夫婦のアルアル話を通り過ぎて、普段の生活に入り込み殆どの人が気付けないもしくは気付かないふりをしている、根本的な男女「差別」の問題だと思う。無意識に差別している側と差別されている側では、そもそも理屈が咬み合う訳がない。それを作中で妻側の弁護士が20秒ほどのセリフで切って捨てていて、溜飲の下がる名場面だ。
(キリスト教とユダヤ教下では、女性は完璧な聖母マリアと比べられる。神は男性。妻の行動には完璧を求められるが、男性はどうでもい。悲しいがこれが現実)
差別に気付かないダメ夫に「何故ダメなのか」「妻も一人の人間であること」「根底に差別があること」を気付かせるには、妻が大変な犠牲と勇気と言語化能力を持ってしかも何度も夫に申し入れないと気付いてもらえない(それでも多くは気付かれない)のだけど、ほとんどの女性はこれまでの生い立ちや環境から、そんなことはできないのだ。この不条理。
だから弁護士が代弁する。弁護士に言われ今までの事実に初めて気付かされそうになった夫は、その(自分が差別していた)事実を認めることができず、力に力で反抗し、殴り合いの裁判沙汰になる。
夫アダム・ドライバー側の数あまたある問題に比べ、妻スカヨハ側に問題があまりない、という不公平感は指摘しようと思えばできると思うが、そもそも差別を明らかにしようとするこの場合に「公平」は必要ないだろう。
ただし観ているのは本当につらい。自分も何度も何度も言われていることだらけだ。自分は幸いにして弁護士に言われる前に気付いた(気付くことと直せることは別だが)。 ただ、すべての妻がこのようなことを気付かせてくれる訳ではない。ほとんどは言わずに、もしくは言語化することができず(当たり前だと思う)、限界を超えて噴出する
だから結婚した男性はこの映画を観た方がいい。感想を聴くのも自分にはちょっと恐いのだが…(男同士では得てしてお互いの男女関係について本当のころを話す機会がない…少なくとも自分の周りでは)。
ただ観た後はきっとパートナーのことが何倍も大切に思えると思うし、子供とのちょっとした意思の疎通で本当に嬉しくなる。
あと辛いのが、たまに聴いているラジオ番組で、某男性歌人が自分の離婚のことを何回か話したことがあるんだけど、相手(妻側)の弁護士のことをいつも酷く言うのね。で、その指摘する内容が、この作中のアダム・ドライバーそのものなんですよ。
嗚呼、そうなってしまったのは、そこまでの経緯に理由があったからじゃないのかなと…。
いやー色んな意味で精神的に大変な映画でした。でも傑作。二人の名演技は真に迫りすぎて1回観ただけじゃ名「演技」とは思えない位のレベルです。