素敵なキッチンやアンティークのある部屋を取材させていただきました。ちょっと憧れます。
新しい作家の器が人気ですが、
骨董の器はいまこそ手に入れたいです。
だってもう作られることはないのですから…。
(太字:引用者)
10年以上前の創刊時から、
ほぼ1冊も逃さずに、
今まで買い続けていたライフスタイル誌が、今年リニューアルした。
マガジンハウスのオシャレ雑誌はどれもこれも文体が性に合わず、苦手だった。やれポパイだブルータスだ、あの頃のリラックスはどうだ、オリーブは最高だ、等々の話は全然分からない。もし買うことがあったとしても、大抵文章が生理的に合わないので、最後まで読まないままになってしまう。だから界隈の著名人のことにも、ホント無知。
だけど、そんな自分が人生で1番たくさん買った雑誌は、
他でもないマガジンハウスの『クウネル』だった。
anan増刊として出た時から、「あ、これはおれのための雑誌が出るんだ」と感じた。きっと他に同じことを思った人は何百万人もいたんじゃないかな。トレンドを追っかけなくともいいんだ。自分が好きなものを好きと言っていいんだ。好きだけどうまく言葉にできない気持ちを、心地よく代弁してくれた。新しい世界を見せてくれた。忘れられない名特集がいくつもあった。文章が、写真が、目線が、空気が好きだった。
その後も期待を裏切らずに、10数年の間好きな雑誌で有り続けている。ここ数年のマンネリ感は確かにあったし、時に「ええ?」と思う特集がいくつか紛れてきていたのも事実。だけど購読をやめる程じゃない。まったくそんなじゃない。
そんなクウネルが、今年2016年に初めてフルリニューアルした。
冒頭の文章は、リニューアル号冒頭の、編集長挨拶文からの抜粋。
「アンティーク」が「ある」?
骨董推しの理由が「だってもう作られることはないのですから」?
それって何か言ってるの?
さらに挨拶文は続く。
高橋みどりさんの「おいしい時間 器とわたし」。
興味深いテーマですね。連載です。
「おいしい時間」「器」「わたし」この単語だけで「興味深い」て。
挨拶文全体に流れるこのゾンザイ感。
1冊全体読み流したけども、真面目に読みたいと思える記事は、見つけられなかった。少なくとも自分は読まない類いの記事ばかりだった。
既存読者を完全に切り捨てた、いわゆるこの「クウネルのリニューアル問題」は、Amazonのレビュー炎上に伴ってさまざまな記事になった。あちこちで書かれているように、リニューアルの目的は、噂になっている通りターゲットを絞って広告を取りやすいように刷新、ということなのかも知れない。編集長は元Oliveの淀川美代子氏、アートディレクションが藤本やすし+Cap。徹底的に考えられた上で、よくよくの考えがあって、「敢えて」の方向性だろうことは明らかだし、このご時世で雑誌を創刊する(これはもはやそういうレベル。「リニューアル」としたのは雑誌コードが取れないせいとも言われている)なんてことは、我々の考えが及びもしないほど綿密なマーケティングが行われ、クライアント対策が練りに練られた上での、スタートだったことだろう。そうして新生「クウネル」は、「50代女性をターゲットに」と、高らかに謳われて登場した。
一般的な「50代女性」ってのは
ここまで何も深く考えない世間知らずだとでも言うのだろうか。
広告をとるって、こういうことなの?
=========================
リニューアルによってAmazonレビューで起こった優しいdisの嵐はWEB上でまとめ記事になり、大層な話題を呼んだ。
Amazonに寄せられた200何十というレビュー(その殆どが☆ひとつ)。10年以上付き合ってきた、信用してきた相棒にいきなり裏切られた様子が、実に見事にまとめられている傑作も多い。読んでいくと改めて『クウネル』とは何だったのかが思い出され、ぐっとくる。
まさに自分の「クウネル弔い」にはピッタリだと思ったので、ここでお気に入りを引用しておきます。保存版として。
さようならクウネルくん。
君が好きだったよ。
togetter>『これ以上美しい「星一つ」のレビューを見たことがない 静かに荒ぶるリニューアル『クウネル』のamazonレビューが話題に』
ほっこり系雑誌の走りのように言われるクウネルですが、私にとっては
「生活臭もいいじゃない」
「弁当箱は曲げわっぱじゃなくて、ジップロックコンテナでもOK」
「流行のおしゃれをしなくても、エプロンでもかわいいよ」
「漬物バンザイ!」
な、逆方向にとがってる雑誌だと思ってました。対してリニューアル後のクウネルは、
ピカピカしてるというか、
Olive・non-no世代がそのままの精神年齢で年老いたというか、
「ジップロックコンテナじゃ恥ずかしいから、青山のおしゃれ雑貨店で、有名作家の曲げわっぱの弁当箱を買おうよ!」と言われているような気持ちになってしまうのです。21世紀に創刊されネット時代と共に歩んだ雑誌なのに、
何でもネット経由で知ることができる時代なのに、
ページをめくるたびに、
今まで見過ごしてきた「その辺の人」「その辺のこと」が価値ある・意味あるものとして立ち上がってきて、
ペランとした「情報」なんかよりよっぽどずっしり心に刺さりました。
この間50代になりましたが、リニューアル号のはじめの言葉に書かれている
“力強く自由に生きるフランス女性は素晴らしい”
“おしゃれはずっとしたい”
”定番確実”
…残念ながらこういうものを求める気持ちでクウネルを読んではいなかったのです。
こういうものが好きな方は最初から「そういう」雑誌を読んでいらっしゃるでしょう。「今までの自分の人生の積み重ね」「今を自由に生きる」というようなこと。
ドーンと並べるのではなく、
読者がひっそり自分の中に持ったうえで、
同じように紙面に登場する方が「自分の中に持ってらっしゃる何か」を編集の方が丁寧に引き出してくださった
当たり前で静かな記事を読むのが良かったのです。ですのでとても残念な気持ちです。
並ぶ単語に目が引き寄せられません。自分の生活とは遠いところにあるようです。
名前が「クウネル」のままで切ないですが、今の編集の方も一所懸命作ってらっしゃるのでしょうから今までの50代(+その他全ての年代)の読者とは違う50代の読者の方が読むようになるのでしょう。
(中略)
30年後の元オリーブ少女へ、という編集長へのインタビューがあったので読みました。“昔『オリーブ』を読んでいたけれど、大人になってあまり雑誌を読まなくなった人が
『久々に雑誌を見てみようかな』という気持ちになるような雑誌を目指したい”
とおっしゃっていました。つくづく「クウネル」の名前が残ったことが残念に思いました。
今回、リニューアルされるということはわかっていましたが、届いたものを見たとき、目を疑いました。
表紙もサイズも紙の質も、何もかもがこれまでとは違う。
何より、内容が違います。
これまでのku:nelは、一冊全部が、どこから読んでも楽しい宝箱のような雑誌でした。
どの記事も、すべて「ストーリーのあるモノと暮らし」というコンセプトに沿って丁寧に作られたものでした。
もちろん、お店の紹介や旅情報的なページもありましたが、それらはすべて「情報」ではなく、ストーリーのある読み物でした。
文章も写真も、ただのイメージではなく、ストーリーを語っていました。
その証拠に、古いバックナンバーのどれを開いても、内容はちっとも色あせていません。
リニューアルされたku:nelは、それとはまったく異質のものです。
同じなのは看板だけ。
ここまで違うものを同じ誌名で出すというのは、既存の読者に対する裏切りではないでしょうか。この誌面を作られた編集部の方々は、この雑誌がどれほど愛されていたか、ご存じなかったのでしょうか。
リニューアルそのものは仕方のないことだと思います。
これ以上続けられないなら、悲しいけれどそれでもいい。
でも、どうして、リニューアルに際し、これまでこの雑誌を愛していた私たちに、ほんの少しでも思いを寄せてくださらなかったのか。
看板だけ残してほしいなんて、誰も思っていません。
それが残念で、また腹立たしくて仕方ありません。ただ、これまでのku:nelを作ってくださっていたスタッフの皆さんには、心からお礼を申し上げたいです。
長い間、本当にありがとうございました。
またいつか、再会できますように願っています。
お気に入りの小さなビストロが、改装のためしばらく休んでいた。
新装開店で行ってみたら、店名が同じだけの別の店になっていて。
素材にこだわって丁寧につくられていたメニューは一新されて、
よその店でも食べられるような個性のない料理が並んでいる。
客層もがらっと変わってしまって、目をキラキラさせた韓流おばさんばかり。
バブルの頃に一世を風靡したシェフを呼んできたらしいから、
その頃のファンが集まるような店にしたのかも。
そういえば店内も、ひと昔かふた昔前のオシャレを演出してる感じ。
なんとなく安っぽく感じるのは気のせいかな。
壁にはシェフの知り合いらしい有名人のサインがベタベタ貼ってある。
「みっともない」思わずつぶやきとため息が漏れた。
前は落ち着いてじっくり考えごとができる、素敵なお店だったのに。
私が大好きだったあの小さなビストロは、もうどこにもないんだな。
お気に召さないお客様はけっこうです、とシェフが言っているみたい。
そんなこと言われなくても、もう二度と来ませんから。
でもね。
最後にせめて、かわいいマスコットくんに「さよなら」が言いたかったよ。
大好きだった雑誌にこんな星をつける日がくるなんて。
本屋さんで開いて読んで、あまりの内容に途中で辛くなって閉じました。。ストーブの前で温かいお茶をいただきながら読む時間が大好きでした。
この時代に、あんなに素敵な世界を作ってくださってありがとうございました。
「自由に生きる大人の女性へ!」が雑誌名の上にあって、
「50代の大人の女性たち」向けってことらしいのだけど、
これまでのクウネルが説いてきてくれたことは、
「自由」とか「大人」って年齢とか性別とか関係ないものなんだよ!ってことだと自分は思ってるし、
だからいちいち「フランス女性」に学ばなくたって、
自分達の身の回りの「生活の知恵」を美しく思うことができたんだ。これまでのクウネルを創ってきて下さった方々、ありがとう!
あなたたちのおかげで、
たとえ国内にいたって毎日が地味だってお金がなくたって、
自分の生活を毎日大切にして生きていくことが誇りになるんだ、っていう
大事なことを教えてもらうことができました。
奇数月の20日は本屋に行くのが楽しみだった。
クウネルを読むと日々の平凡な毎日を大切に過ごさなくちゃと気持ちが引き締まった。季節の楽しみ方を教えてもらった。料理も好きになった。お弁当もたまに作ることが楽しみになった。
新しいクウネルはそれらを教えてくれるものではなくなっていました。
アルマイトのお鍋で炊かれる野菜や、空き缶にためた端切れや糸くずの美しさ。
誰に見せるつもりでもなく、自分だけの世界を紡いで年をとっていくことの幸福とエッジィさ。
そういうものを教えてくれたのがクウネルだったのに。「年をとったなあ」と思い、「それも悪くない」と思い、クウネルで読んだ人生の先輩たちのことを思い出しながら、
すこしでもこんな、自分の人生から逃げない人たちに近づきたい、と思いながら、毎日生きていく。
そんな日々に、クウネルがこれからもいっしょにいてくれるものだと思っていました。「年齢を重ねても、心は青春のまま」と感じている50代女性向け、
“かわいいものに、トキメキたい”が新たなテーマ、
「 フランス女性の80%が「自分は幸せ」と考えているのに対し、日本人女性で「自分のことが幸せ」と感じているのは30%に満たない」、
「ファッション、ビューティー、インテリア、料理、旅行など、人生にトキメキを与える、幅広い情報」
……
こんな周回遅れのことばを並べないといけないことに、同情すら覚えます。
「せめて心だけでも若く」「不幸なんでしょ?」と煽らないと採算がとれないのかと。
50代の方ははそんなこと、すっかり卒業しているのではないでしょうか。
古びてしまったけれど、大好きだったぬいぐるみ。
家族で行った旅行先で買ってもらった、とてもださくて愛らしいキーホルダー。
妙な柄だけれど、自分に似合っていた流行りとは全く違う、不思議な服。
おいしいような、おいしくないような母の手づくりおやつ。
ku:nelを開くと、なんだか「私の大切にしているもの」を思い出す
秘密の場所につながっていたように思う。でもその扉は閉ざされてしまったみたい。
新しくできた扉につながっていたのは、
ゆるやかな世界に見せかけて
「これがおしゃれ」「おすすめ」「それはもうふるい」
「高いものはいい」などと
見た目は静かなのに、妙に騒がしい人々がいる場所だった。それぞれの人たちが主張している
「わたしはこれが好き」というだけの
風通しがよくて、ひろびろとしているあの場所とは
残念ながら似てもにつかないものだと思う。そして、そんな静かな世界が
今の世界とは相入れづらくなったのも、悲しいけれど事実なんだろう。
ほんとうに好きなものだけを売るお店を開いていたら、オーナーが
「もうけがすくないから、利益が出るそれっぽい店を探してきた。さ、どいたどいた!」と、
一生懸命がんばってきたお店の人々を追い出した、そんな風に見えてしまった。もちろん、言い分はそれぞれにあるのだ。どちらも正しい。
私は30手前の男性です。我が家では父がたまに買ってきて、高校生の頃からそれを読むのが好きでした。
クウネルは一般的にはまごうことなき「女性むけ」の雑誌だったのでしょうけど、自分からそれを声高に言うことなく、内容としても面白く、当たり前にありすぎてもはやそこにあると認識されていないこのセクシズム社会の中でほっとできる良い雑誌であり創作物であったと思うのですが、わざわざそれを捨ててしまったのですね。
読者層をわざわざ自分から限定すれば売上的にもいいことなんてないと思うのですが、なぜ悪手を打ったのでしょうか。素朴に疑問です。
クウネルが持っていた「多様性」は望んでもそうそう持ちえないものでしょう。父は一昨年亡くなりましたが、これを知ったら残念がると同時に「馬鹿だな」とシニカルに笑っただろうな。
P046「自分になじんできたなと思った頃にはその服はもう人に見せられないくらいへたっている。処分すべきです」
ずいぶんひどいことを平気で言う雑誌になりました。今までこの雑誌を作ってきた人を思うとやりきれない。(後略)
高校生です。祖父母と一緒に読むのがここ数年の習慣で、楽しみでもありました。都会の喧騒をそのまま紙面に起こしたような、高い化粧品の広告だらけのありふれた雑誌とはまるで違い、ほっと一息つける場所まで連れて行ってくれるのがクウネルでした。読みながら祖父母が昔を回顧して語ってくれたり、お互いの思い出話に花を咲かせたり、というのが常でした。いつだったかふんどしの特集があった時は祖父が引っ張り出してきて実演してくれたこともありました。笑
我が家では、世代を越えて楽しめる無二の雑誌だったのに、今はただ、まさに「ありふれた雑誌」になってしまったなあ、と恨みがましく思うばかりです。
今回のこの新方針にはきっと色々な事情があったのだと思いますが、一愛読者として非常に残念でした。今までありがとうございました。