長女が5歳の誕生日を迎えた。いつも通り料理を作って、手作りのケーキを作り、昨年同様にデコレーションは長女が担当。ロウソクをつけて電気を消し、ハッピーバースデーをみんなで歌う。7ヶ月の次女もだっこで一緒に。
歌いはじめたらふいに、涙をこらえられなくなった。妻も同じく、二人同時に。動揺を隠すのに難儀してやっと歌い終えた。
去年は、イヤいままで、こんなことはなかった。予想もしていなかったので驚いた。まったく申し訳ないほどに健康で元気で明るくバカで、手も大してかからず、すこやかに育ってくれた。次女も同じだ。そのすべてが、日々自分たちが送っている生活のすべてが、皆で食べる食事が、皆で一緒に眠る夜が、一緒に起きる朝が、泣けるほどにありがたく思えた。これ以上無くありがたく思えた。勿論いつも実感して、感謝していると思っていた。だけど誕生日を迎えたその瞬間は、どうしてもこらえ切れないほどに、感情が溢れ出してきた。ただひたすらに「ありがたい」という気持ちで涙が出た。驚いた。
今年のいろいろなことが影響しているのか、4歳から5歳という(特に女子は)大人に切り替わる頃合いだからなのか、分からない。来年はどうなるんだろう。
近況。
一人目を経験し、その上での二人目の子育ては、前にも書いたけど不安要素・不明要素が約80%減(当社比)となって、その分育児の楽しみは倍増しだ。そしてもう自分たちが子供を産む予定がないこともあり、次女のすべての進化が愛おしく、せつない。一つ何かできるたび、勿論喜びもあるんだけど「ああ、覚えちゃったのね…」的な寂しさの方が勝る。できるだけゆっくり育って欲しい。今次女は7ヶ月ではおそらくかなり進歩が遅いほうで一人で座ることもできないけど、それが本当に愛おしい。二人で「まだいいから、ね。立たなくていいから」と言い聞かせている。長女の時には一切なかった感情だ。
勿論進歩した後には次の更なる楽しみが待っていて、そう思っていたことなんて一瞬で忘れてしまうのだけど。
【近況】
食べるものには相変わらず悩む(特に家族での外食)が、何となく落ち着かざるを得なくなってきた。家の食事では肉・卵・牛乳は基本的になし。とはいえこの3つはもともとアレルギーのある俺は慎むよう言われてるものじゃんか。まぁ従来からあまり食べていなかった家庭なのであまり混乱はない。そう、驚く程娘も順応している。牛乳もそれなりに好きだったけど今はまったく飲んでいない。肉もそう。あとしばらくは調査の様子を見たい。
勿論ワタクシの食事は昼に好きなもん食べてます。もともとガン家系なこともあり、あまり自分の分は気にしていない(これも良くないことなんだけど)。
市川春子を最近知ることができて嬉しい。SFをむさぼるように読んでいた小中学生のあの頃を思い出します。今だって大好きなんだけど、読書の余裕が持てていないだけ。ダメだなぁ。『日下兄妹』は本当にオーソドックスなSFプロットだけど(だけに)、条件反射で泣かされてしまった。
あとすごく有名な作品だけど今まで読むきっかけがなかった、こうの史代『夕凪の街 桜の国』。きっかけを与えてくれたのはなかしましほさんという料理家さんのイベントで配られていたフリーペーパー。そのイベント当日だけのために、なかしまさん担当の編集さんが手作りでしこしこ作った(手書きアンケート文とパソコン文字の切り貼りとか泣ける!そして上手い!)ものなんだけど、そこになかしまさんのお奨め本としてこんな紹介が
震災後、原発についてわかりやすく書かれた本はないかとツイートした時、料理家の福田理香さんがこれをおすすめしてくれました。せつないきもちになりますが、忘れないように、たびたび読むようにしています。
実はこの本、原発ではなく広島の原爆にまつわる話で、2004年初版。だけど書かれていることは、おそらくこれからの日本でまた当てはまってしまうこと。震災後10ヶ月の今とはまた違う方向からさまざまな立場の人達の気持ちを、イヤでも考えさせられます。
わかっているのは「死ねばいい」と
誰かに思われたということ思われたのに生き延びているということ
そして一番怖いのは
あれ以来
本当にそう思われても仕方のない
人間に自分がなってしまったことに自分で時々
気付いてしまう
ことだ
特に悪いことをしたわけでもなく、ただ被害を受けただけの、何万人もの東北の人達が、これからどんな立場に置かれ、どんな思いをするのだろうかと、せめて常に想像することを忘れずにいたいと思います。
講談社 (2011-09-23)