安藤サクラと長谷川博己というキャストでモーレツな期待の中始まった朝ドラ『まんぷく』だが、90話近くの現在に至るまでハマりきれず、それどころか脱落しかけている。その原因を自分なりに分析してみた。
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まんぷくは基本的に「ところが…」「しかし…」で視聴者の興味を延々と繋いでいく「不安ドリブン」な脚本だ。常にトラブルが起こっているか、それを解決しているかの物語で、トラブル抜き:単に幸せな日常の描写は、あまりないように思う。
だが、それ自体は問題ではない。
繋ぐきっかけとなるトラブルや事件が、ホントにくだらなかったりツッコミ所だらけでノれない。このことで常にイライラさせられるのが、自分が脱落しそうな最大の原因のように思う。
「○○○すれば解決するじゃん…なんでやらないの」という突っ込みがずっと頭から離れず、だから登場人物と一緒になって心配できない。不安になれない。
その後、トラブルを解決する過程(そこで登場人物の誠実さや、人と人の関係が深まっていく)は大抵好きなのだ。だからまた観てしまう。このパートでは、安藤サクラ・長谷川博己はじめ(お母さん以外の)役者たちの魅力が全開になる。
【例】
事件)塩を専売公社に納入する際のセラさんのピンハネ(何故電話一つしない。何故伝票ひとつない) |
【解決過程】→それでもセラさんを信じる萬平と、そんな萬平をより好きになる福子。結束が固まる |
事件)ふくこが義理の兄と一緒に歩いているところを塩メンにこっそり見られて浮気に勘違いされる(心からどうでもいい) |
【解決過程】→萬平を信じきれない福子と、その福子を思うお母さんの気持ち(数少ないお母さんの見せ場)→萬平とのやりとりへ |
事件)床下から見つけた手榴弾で魚をとっていて全員が拘束→軍事裁判(きっかけと展開のギャップありすぎ) |
【解決過程】→萬平のことを英語でかばう福子の見せ場・他たくさん |
事件)夫が裸婦像を描き始めたことで動揺する妻(画家の妻が裸婦画を知らないって) |
【解決過程】→のろけ話が最後に暴露され、忠彦さんの家族を思う気持ちが一層明らかに |
まとめると
1)キャラの魅力を見せるために採用された「トラブル」エピソードのつくりが雑過ぎる。
だけど解決の過程は気持ち良い
※念のために書いておくと、萬平さんのモデルになった人の生涯は本当にトラブル続きだったようだ(NHK『ステラ』参照)。何度も書くが、このこと自体はそんなに問題ではない。
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もう一つ脱落しかけている大きな理由、それがお母さんの存在。
あのキンキン声で、トラブルのたびに当たり前の話を延々と、ほぼ毎日繰り返すのが我慢できない。言っていることは本当に「お母さんあるある」だし、こういう人、いるよね。リアルだよね。すごく分かります。いっそ「お母さんカワイイ」なんてゆう話も良くききますが、全然共感できない。みれば見るほど嫌いになっていくのが、お母さんのキャラクター。このあたりに自分の対応力の無さを見る思いだ。
どうせ現実にあると分かっている不可避でいや〜な問題を、朝から毎日見せられたくない、いやテレビでわざわざ見たくない、ということに尽きる。(お母さん、そのうち出番が少なくなるかも…と期待していたのに、存在感は何も変わらず、ずっとこのまま続きそうなイキオイだもんな…)
これは以前から「渡鬼問題」と呼んでいた対立だ。
『渡る世間は鬼ばかり』というドラマに勝手に代表させてしまって申し訳ないのだが、
「嫁姑問題」や「ママ友イジメ問題」など、世の中に確実に存在するイヤ〜な問題を
●わざわざテレビで観たくない派、と
●わざわざテレビで観たい派、が
世の中には存在する。
「わざわざ渡鬼を観る人」vs「観る意味が分からない人」
この2者は永遠に相容れないのだ。これを渡鬼問題と言う。
特に今回は「朝ドラ」じゃないですか。1日が始まる、朝。毎日の仕事の前に、こんなこと見せられたくないよね、というのが私の基本的な朝ドラ視聴スタンス。
そうでない渡鬼ドラマは、やっぱりことごとく脱落してきたのだ。
まとめると
2)毎朝こんなイライラするのを見せないでくれ
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でことで、いつもならとうに脱落している筈なんですけど、役者のパワーが凄すぎてなんとなく続いている、というのが
「まんぷく」現状報告でございました。
自分的口直しに、当ブログの朝ドラ過去記事をひっぱりだしておこう。
→『あまちゃん』関連記事へ
→『あさが来た』関連記事へ
→『ひよっこ』関連記事へ
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