娘が読書に夢中になっているのを見ながら、自分も寝ころんで本を読む時の、このなんとも言えないシヤワセな気持ち。
我が家のとっても良いリズムができている。
やはりテレビを買おうとは思えない。
娘が読書に夢中になっているのを見ながら、自分も寝ころんで本を読む時の、このなんとも言えないシヤワセな気持ち。
我が家のとっても良いリズムができている。
やはりテレビを買おうとは思えない。
およそ作者が生きている間に完結するのかどうか、はなはだ疑問に思っていたほどの超大作漫画が2つあります。
一つは永野護『The Five Star Stories』
もう一つは獣木野生(前・伸たまき)『パーム』シリーズ。
どちらも私の生涯ベスト3に入る漫画で(もう一つは宮崎駿『風の谷のナウシカ』)、
どちらも30年以上続いていて、今も現役で連載しています。
なのですが、このたび『パーム』の最終話がはじまりました。3月末に単行本第1巻が発売されます。ついに終わりが見えてきた訳です。こっちもドキドキしてしまいます。
色々機会があって『パーム』シリーズをお勧めすることが最近重なりました。本当に自分の人生観にも大きな影響を与えた作品です。一言では言い表せません。ですけど『パーム』の作者が書いた私の大好きな文章を、この機会に引用したいと思います。以前作者の獣木野生さんがご自分のサイトに書かれていた、「TIME TABLE」というページの一文です。
ところでその前に『パーム』という作品は、作者が中学生の頃に既に全体像を考えていたとそうです。
●中学3年、みんながそろそろ進路を考えるころだったのだが、わたしはすっかり漫画家になるつもりでいた。シリーズ名もなかったPALMではあったが、とにかく自分の書こうとするものが、いつ終わるとも知れぬ大長編なのがわかっていたので、高校や大学に行って、余計な時間を費やすのはたいへん好ましくなかった。たしか夏休み前だったと思うが(定かでありません)、この考えを知った担任の先生が、わたしをたしなめにかかった。とにかく誰でも高校に行くようになっていたころで、中学生くらいの子がバカな思い込みをするのは、先生にしてみればよくあることだったろうから、親切で言ってくれたのだろう。「紙切れでメシは食えないよ。」と先生はおっしゃった。非常に生意気な中学生だったわたしは、「先生、人は食べるために生きるのではなく、生きるために食べるのです。」と返した。
公式サイトより〜Biography/10〜19
「TIME TABLE」というページは今は存在しないのですが(※)、最終話(パームでは「話」と呼んでいるが、その一話が時に10年の連載になることもあった)まであと2話を残すことになった2006年に書かれています。そこで、作者はこれから「最終制作段階に入り」、「PALM完成までの間はPALM執筆以外の活動の停止・制限」を行う。たとえばインタビューやコメント、イベント出演、作品制作以外のイラスト制作などの仕事を行わないという宣言でもありました(多分このあたりのポリシーが変わったからこのページ消しちゃったんじゃないかな)。
※2016年追記:獸木先生がご覧になって、2015年1月にページを復活していただきました。ありがとうございます。
→TIME TABLE
その宣言に続いて掲載されたのが、この謝辞のような文章です。なんというのか、あの大好きな『パーム』を書いた人が、このような文章を書いてくれて、私は本当になんというか、嬉しいというか、自分がいつも思っていたことをずばり形にして残してくれたと思ったのです。だけどこのずばりずばりなかんじって、これいくら説明しても分からない人には全然分からないんだろうなぁ。
以下引用します。太字は原文で色変えされていた箇所です。この文章を、大好きな人達に捧げたい。
さて、人間同士がきちんと礼を交わして別れることは意外にまれです。特に作家には決まった退職年齢もなく、読者に改まって感謝を述べる機会もそうありません。
わたしは長い物語を書いているので、話が終わるときには、ずっと読んでくれた人にきちんとお礼を言いたいものだと常々思ってきました。そして今その時が来たようです。
もちろんPALMはあと2話残っていて、そのあとも書くものが残っていますが、人間同士が互いに別れを言い損なうのは、もちろん前もって言っておかないからに他ならないわけで、わたしはこの最終段階の区切り、最後かも知れないチャンスを逃すべきでないと決めました。考えてみるとわたしの周囲にいる人間は息子以外ほとんどわたしの作品を読まないので、ずっと読んでくれた人とは、たとえ一度も会うことがなくても、ある意味深いつながりがあったと言えます。作家から読者への通常のお礼の言葉は「長い間ご愛読ありがとう」ですが、そんな言葉は大して意味がない。
覚えている人がいるかどうか、わたしはいつかどこかで、PALMが終わるころには何らかの人生の秘密、すべてのわけにたどり着きたい、それをできればみんなと分かち合いたい、と書いたことがあります。
すべてのわけにはやや早すぎるものの、PALMのおかげで今までいろいろな発見があったことはありました。そのひとつで比較的最近のものをここに書いて、感謝を表したいと思います。それは幸せになる方法です。
多くの人が幸せを求め、まだ来ぬ幸せを待ちわびていますが、幸せの厄介なところは非常に気付きにくいものだということです。蜃気楼のように遠くにいる時はよく見え、近くではまるで見えなくなってしまう。見えないそのわけは、 もちろん自分がその中にいるからです。
わたしを含め、わたしの知っているほぼ全員はすでに充分幸せですが、それを自覚し謳歌している人間は少ない。どうか今の幸せをのがさないでください。
うちのキャラのひとりが「地獄は死んでから行くところじゃねえ。ここが地獄なんだ。」と言ったことがありますが、それは忘れてください。
「天国は死んでから行くところじゃない。ここが天国だ。」の間違いです。
要するにどっちも事実なわけですが、どうせなら天国を多めに認識してください。
幸せは未来や遠い場所にはない。今ここにあることに気付いて、どうか心ゆくまでそれを味わってほしい。
悪い習慣を遠ざけ、良い習慣を続け、なるべく健康で、五感を研ぎ澄まし、全身でそれを感じてほしい。できれば毎日満ち足りた気分を味わってほしい。
それがわたしの願いです。おかげさまでわたしの人生も、自分の想像をはるかに超える幸せなものでした。いつも新しい何かにチャレンジする幸せ、難しいハードルを克服する幸せ、何かに命をかけて燃えるように生きる幸せ、無防備に深く激しく愛する幸せを味わった。
今までとこれからのPALMを通して、この幸福をあなたと分かち合えたらと思います。みなさんの輝く日々を願って。
2006年7月
獸木野生
獣木野生さん、これまでありがとうございます。これから最終回まで、何卒宜しくお願いいたします。
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→獸木野生『パーム』オフ会「パーム・ナイト」開催しました。
週末土日と、初めて雪らしい雪。これは?と思ったけど、一瞬10センチほど積もった後は、結局ほとんど残らなかった。だけど冬の楽しみのお店Rに、ゲストを連れて二日間どちらも行けたので非常に満足。雪って本当に好きだし待ち遠しいけど、周りでそんなこと言ってるのは子供くらいだ。もったいない。あんな素敵なことってそうはないと思うけどなぁ。
その後降雪・積雪ゼロ。昨日などは日が落ちても外気温が14℃!露天風呂に入る楽しみも半減だったよ…(娘2人と行きました)。なんか既に春の気配?気のせいだろうけども。でも本当に冬はどこいったの?という感じの新潟市です。
4日間晴天が続いた後、積もった。ほぼ初雪。
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「ダサいくらいなんだよ、我慢しろよ!」
(NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の主人公、天野アキが親友に向って言う台詞)
********
80年代以降の僕ら日本人がたどって来た道をたったひとことでばっさり。そのくらい、このことば、わたしには衝撃的でした。
「ダサい」ってことばは、わたしの記憶にある限り、70年代の後半くらいから使われだしたように思います。それ以降、僕らは、正確にはオレたち田舎育ちの人間は、この言葉に縛られてきました。ダサいと言われたくない=洗練されたい、都会的と見られたい。とりわけ福島に育ち、東京に出てきたわたしのような青年にとっては、切ないくらいの呪縛力を持ったことばでした。都会育ちには、この感じ、わからないだろうなあ。
この「ダサい」をどうやって克服したかと言えば、自分がそれなりに自分の仕事をするようになり、社会に認められ、海外でも認められ……って、あああ、やっぱ、こう書くとオレめっちゃダセえ。でもそうやって、いつのまにかこのことばが恐怖ではなくなっていきました。
でも、否応なくそんな過去を思いださせたのが震災でした。なんで福島に原発があるのか。なんで事故がおこったときにこんなことになるのか。そのときに翻弄されるオレたち福島出身者や福島在住の人たち。「ダサい」という言葉に翻弄されていた自分と、2011年の翻弄される福島とがどこかで重なって来て、自分自身正気ではいられないくらい動揺しました。なんでだろう、最初はそう思いました。その謎を見事に解き明かしてくれたのが開沼博の書く『「フクシマ」論』(青土社)でした。「ダサい」に翻弄されていた自分と、田舎に原発が作られる土壌の見事なくらいの一致。震災と原発事故を経て、2012年に入った頃から、自分の残りの人生は地方と中央の問題をどうにかしていくことに焦点をあてよう……そう決心しました。
そんな中で、自分もその制作に関わって生まれたのがNHKの朝ドラ「あまちゃん」です。あそこには地方と中央の関係が等身大で見事に描かれています。宮藤官九郎さんの脚本は、決して難しいことばを使わずに、日常的なやり取りの中だけで見事にことの本質を射抜きます。今もことあるごとに、わたしはこの言葉を思いだします。なんでだかわかりません。でも、それが、地方と中央の関係を根底からくつがえす原動力になるような気もしています。二度と原発みたいなもんを作らないためにも。
(おおとも よしひで・音楽家)
われわれは、まず、折あるごとに不満を述べあい、議論をたたかわし、役所に苦情の電話をし、新聞や雑誌にすぐれた記事を発見した場合には、手紙を書いて激励しようではありませんか。
その効果はあまりにも小さく、前途は気の遠くなるほど遥かです。しかし、これが、誰にでもできる唯一の道造りではないでしょうか。
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この2日間は美しい青空。正月からこっち、こんな青空が3日くらいあったかな?積雪は最大で5センチほどが2日くらい。
DVDで2回目の鑑賞。ネタバレ感想です。
そもそも『モンスターズ』シリーズを観た順番が
10年位前の『モンスターズ・インク』
↓↓
2013年末の『モンスターズ・ユニバーシティ』
年間中年始で『モンスターズ・インク』×2回
今回『モンスターズ・ユニバーシティ』
というかんじで、つまり一回目に本作を観た時は『インク』の内容をぜんぜん覚えていなかった。で、『インク』を観返したらそのあまりの完璧な面白さにハマり、イキオイあまって再度『ユニバーシティ』に戻ってきたわけ。やっぱり『インク』の内容を知っていると、全然気持ちが違う。
だけど全体の構成は『インク』の方が断然好き。『ユニバーシティ』は、そもそも多くの割合を占める「こわがらせコンテスト」の意義自体が正直ビミョーでやっぱりちょっとたるむ。勿論shiroの嫌いないじめシーンもあって、別に気分悪くなるようなもんじゃないけど、これも正直中だるみ感。全体を通して「学内ヒエラルキー」がドラマの根底にあるのだけど、正直面倒くさくて、後で明らかな逆転のカタルシスがそれ程ある訳でもない。
『ユニバーシティ』のオレ的見どころは、改めてラストシーンからエンディングだと思った(ゴメンナサイ)。大学を退学させられた2人が、まずは郵便整理係で会社に就職。まったく望んでいない職場だけどクサらずに楽しんでトップを目指す。その後もいくつかのセクションを経験するんだけど、どの場にいても2人のベストを尽くし楽しんでいる様子が写真とナレーションで語られる。最後に、怖がらせやの試験に受かり、あの職場に最初に入るところで、『インク』につづく。
この気持ち良さたるや!
かかっているビッグバンド・JAZZのBGMも最高。一回目に観た直後にソッコー調べて買ったけど、この曲サントラに入っていませんよ(!)。要注意です。
MarchFourth Marching Bandの「Rise Up」というアルバムに入っている「Gospel」という曲です。
あと『インク』の直後に観ると、この10年のさすがのCG進化がよく分かります。天と地ほどに違う。『ユニバーシティ』のバスとかもう実写。マイクの皮膚はもうなんかリアルに生き物だし。だけど、『インク』の感想にも書いたけど、そういった技術的な面はストーリーの善し悪しにはイッコも関係ないのな!
サリーとマイク、このキャラクターの魅力って、ひょっとしてピクサー1かも知んない。今後も続編出るんだろうか。だとしたら楽しみです。
★★★☆☆
やっと少し、雪遊びができる程度に積もった日曜の朝。明日も祝日で三連休。
今さらですが年賀状ができあがったので宛名書きを。今年からは長女も宛名が書けるようになった(漢字も!)ので一緒にがんばっています。そうだ、がんばってちゃんとした万年筆を買ったのも2013年だった。書くのが楽しい。
自宅のRadikoは今はTOKYO判定。iPhoneの「Radikker」というAPPも教えてもらって非常に充実オレラジオライフ。今はinterFM。
9日間というながーい年末年始休暇の間、家族そろって『モンスターズ・インク』を観たのが2回。しかも一回返して、また観たくなったので再度借りてきた。きっかけは『モンスターズ・ユニバーシティ』のレンタル開始だ。娘達はモンスターズシリーズはこれが初体験。ちょうど時間の流れ的には『インク』がこの後なので次に観たら…。面白過ぎてドはまり。上映時間の間一度もダレない。見事な構成。2回観ても少しも飽きるところがなかった。CG的には『ユニバーシティ』の15年ほど前だから全然初期のクオリティなんだけど、そんなん全然関係ねぇぜ!をまさに体で表した、文句なしの傑作。
爆笑問題の田中、いい仕事し過ぎ。吹替版超オススメです。
★★★★☆
小山宙哉『宇宙兄弟(原作漫画)』の一番の魅力は、劇中に出てくる問題解決策の見事さだ、と以前書いた。「漫画の中」ということを差し置いて、普通に朝刊に大きな記事で出てきそうな凄いアイデアがどんどん出てくる。
今月、TBSラジオ『荻上チキのSession-22』内のNEC WISDOM Squareというコーナーに、『バガボンド』や『宇宙兄弟』の担当編集者:佐渡島庸平氏がゲストで出ていて、宇宙兄弟のとあるエピソードを語っていた。
ローバーのアイデアが漫画に掲載された後、JAXAから問合せが来たそうだ。
「これどうやって取材したんですか?JAXAの一部だけが知っている、今考えているアイデアですよ?」
別に取材でスッパ抜いた訳ではなく、純粋に作者・小山宙哉氏が考えたアイデアだそうだ。小山さんは文系だけど技術者の気持ちになることも上手で、佐渡島氏曰く「ぐーーーーっと」主人公の気持ち、ムッタの気持ちになって、その場で彼ならどうするかをひたすらに考えて考え抜くと、ああゆうすごいアイデアが出てくるんだそうな。
他にも小山氏の新人(当時)とは思えない大物ぶりなどが語られている。(佐渡島氏曰く)まだヒット作を1つも出せていないのに、まるで井上雄彦氏ばりのこだわりと風格だったんだって。なんか想像してた小山氏像と全然違ってて面白い。
こんなエピソードも。
佐渡島氏は「よりメジャーな漫画になるにはフリーハンドではなく定規を使わなくちゃダメ」という助言を小山氏にする。小山氏はすぐに採り入れて定規を使い始めた。だけどそのままじゃなくて、定規にカッターで微細な傷を彫って、気に入るようなラインを自分で探っていた。
「普通はそのまま言う通りに定規を使い始めるか、断固として断るかの、どちらかだと思う。」と佐渡島氏。小山氏はそのどちらも採らずに(いやどちらも採って?)、自分の納得いくやり方を見つけた。そういうところが大物だ。というような意味でラジオで紹介されてた。
だけどこれって、
何だかムッタのエピソードを聞いてるみたいだなぁって思った。
TBS・東京ポッド許可局の「ごちそうさん論」を聴く。ようはごちそうさん面白いぜ!って内容。
ごちそうさん、今までぽちぽち観てきて(週イチくらい?車のTVで)、どこかではまるきっかけないかなーと思ってたんだけど。ダメ。もうあの姑さんのいじめがダメ。許可局でも「最近の視聴者は甘やかされている。あのくらいのいじめは耐えて観なきゃ」的なことを言っていたけど、ダメ。あのいじめシーンで毎回断念。
分かりやすいので例え話で良く使うんだけど、『渡る世間は鬼ばかり』とかの嫁いびりを楽しく観れる気持ちが全然理解できない。なんでテレビの中でまで、放っといても世の中に溢れているイヤなことやイヤな人のイヤさと向き合わなければならない?それに対抗できていない人の無念さを眺めていなければならない?そんなパワーは少しでも現実世界の為に残しておきたいです。是非に。
耐性を付けるっていう意味は、あるかもね。でもそれは自分にとって「訓練」であって、決して「楽しいテレビ鑑賞」ではありません。
自分とまったく同じ気持ちの人も身の回りに結構いて、上記のようなことをよく話すんだけど、出てくる話の1つが「どこを面白がっているんだろう」ということ。いじめる方、いじめられる方、誰(どっち)に感情移入しているんだろう。とか。仕返しの時のカタルシスは確かに面白いだろうけど、仕返しを観たいがためだけにずっと耐えてるのかなぁ。そんなことはないはず。きっと気分の悪いのもいやーな感じもすべて含めて「テレビ体験」「映画体験」として消化できる、面白い体験にできる能力を、「観れる」人たちは持っているんだろう。
ごめんなさい。こんなことを書いてはいけなかった。と胆に命じていた筈なのに。面白く観れている人の方が世間では大半。こんなこと書いたって読んだ人のほとんどにとっては至極至極当たり前のこと。はぁ?というか、disられたかのように感じるだけだよな。
恐らく30を過ぎた頃から、30半ばになったらもう完全に、映画とかテレビに対して「怖いもの観たさ」とか全然なくなってしまった。エログロはまだしも、残酷系は全般にダメ。拷問、殺人とか。また特に子どもが絡んだり死んだりするものは絶対に観れない。「観れない」ってなに?と「観れる」人は思うでしょうけど、感情移入しすぎて「映画体験」から外れて自分の気持ちがガタ落ちしちゃうってこと。終って「ああ良い映画体験だった〜」なんて思えない。たとえ最後がハッピーエンドだろうが何だろうが。機会あるごとにそのシーンだけが甦り、具合が悪くなる。なんのためにお金を払って映画を観たのか分からない。
ええ、この条件で言うと世の中の話題の映画の半分以上観れないんじゃないかと思います。その通り。それで全然結構。だから何度も書いているけどタマフルの宇多丸さんとは全然趣味が合わない(彼の生涯ベスト『アポカリプト』はそういう意味では最悪だった)。レビュアーとして面白く聴いています。園しおんさんの残酷系もいっこも観る気にならない。
ああすっきりしました。このサイトのテレビ・映画レビューもこんなような特殊な感情ベースの上で書いていますので。アシカラズよろチンピク。
公開初日、映画館で3D吹替。地元では巨大なスクリーンだけど、お客さんは全部で4人だった(レイト)。ネタバレ殆どありません。
スペースシャトルの船外作業中に、衛星爆発事故によるデブリ(宇宙ゴミ)の嵐に巻き込まれ宇宙に放り出された主人公の女性博士が、さてどうやって帰るかという話。全編通して息詰まる無重力(ゼロ・グラビティ)の宇宙空間でのあれやこれやなんだけど、覚悟して観に行ったせいもあってか、思ったほど苦しくはなかった。ストーリーと言える程のストーリーもないけれど、91分という短めの上映時間をあっという間に駆けていく(確か劇中で流れる時間とほぼ同じだって誰かが言ってた)。
特にEVAや放浪の最中で宇宙船やステーションのまわりをぐるぐる回っていくカメラ、映像のリアリティは本当にすごい!の一言。久し振りに圧倒的な映像体験です。映画館で観るべき。宇宙遊泳できるよ!
↓これをはじめ予告編は既に観た人用に。行くつもりマンマンな人は観ない方がショック大きくて良いよ。行くかどうか迷ってる人は観るべし。
投げ出され映画だと聞いて想像していたよりはずっとずっとテンポも良く、しかもその中で無情の放浪時間を巧みに挟込むことで緩急もたっぷりあって、しかもクライマックスはちょっとぐっとクる感じで。とても気持ち良く観れました。オススメです!
ここで苦言。といっても3D吹替というフォーマットに対して。
3D吹替、正直オススメしません。そもそも3Dは吹替しかないって選択肢にはいつも呆れてしまうんだけど。この映画は登場人物も極端に少なくて、おそらく劇中7割位は「すーはすーはー」の息遣いです。つまりセリフ回しよりもリアルな情感が大切な演技。これはどーしたって吹替にはそぐいません。あと大好きなジョージ・クルーニーの生声が聞けないことにイライラしてしょうがなかった。あとねー、翻訳も少しおかしいとこあったなぁ。これきっと元だと○○じゃね?的な。セリフがめちゃくちゃ少ないもんだから、余計気になりますよ。
3D鑑賞歴は、映画館で6〜7本くらいかな?イオンシネマのRealなんとか方式。これまでも正直「3Dで良かった〜」なんて思ったことはほぼ無かったけど、今回は何故だろう。特に残念な印象。イヤ、素材としては絶対に3D向きだし、これを3Dで観ずしてどうする、という御意見も良く分かります。問題は、あの「ペラペラ感」。それに尽きる。冒頭で、宇宙から見た大きな地球をずっと写していて、向こうからすこーしづつシャトルが近付いてくるんだけど、もうそれがね。何ての、あれですよ、世界初のSF映画『月世界旅行』でロケットがひゅーーって近付いてくる、あれみたい。紙切れに棒をつけて動かしてるかんじ。まー全編通して浮き上がる素材全部が「紙製」に見える。「デブリに当たって顔の真ん中に穴が空いた同僚←ネタバレ」なんてホント、まんま紙芝居みたいで笑っちゃった。3Dって普通すぐに慣れちゃって3Dってこと忘れる(そしてメガネの痛さで気付く)ものだったけど、この映画ではそのペラペラ感がずっと気になってしょうがなかった。2Dだったらこんなこと気にせず没頭できるのになぁ。でも他の3D方式だと変わるのかもね。
ああーもう2D字幕が観たいよ!(しかし上映は1日1回夕方のみ。3D吹替は5回もやってるのに!どうなってんの!)
2D字幕を勝手にオススメします!
★★★★☆(←3D字幕のマイナス分は含まれません)
今日、2回目の雪。積もらず。1回目からここまでの間は、みぞれやあられ程度だった。
朝起きたら若干白かった。だけど昼過ぎには雨に変わる予報。山下達郎の歌とは逆だな。
あまちゃん終わった次の週の月曜日から、NHKオンデマンドで1話より再見を始めていますんで、「あまロス」どころか今まさにブームの最中のような心持ちです。序盤の岩手編、とにかく楽しい。今日見てたのは春子がアキに2階の部屋で自分のアイドル論を語り始めたら止まらなくなって、スナック休んで「あ、その前にママお酒持ってくるから」とか、もう最高。
全部見終わって、すべて分かってからの再見はまた全然違う楽しさがあります。正直本放映中は、続きや結末が気になって1話からの再見なんてとてもできなかった。
でも最後が分かって、たくさんのクライマックスを経験し、そこまでの伏線(もしくは偶然)を辿りながら、でもどこか新鮮な気持ちを思い出して観る『あまちゃん』の楽しさったら、もう最高!たとえば放映終了後に新聞にキョンキョンが寄稿したあまちゃんに対する思いなんかを読んでからの春ちゃんの序盤の演技、ですよ。こんな楽しみがまだまだ百何十話も残ってる(しかも先が分かってるのであせらなくてイイ!)おれにとって今年は最後まであまちゃんイヤーです!
しばらく企画展のお手伝いなどをしていて、ここ1週間はついに一度も晩ご飯タイムに家に帰れなかった。かと言ってどこかで食べる時間があるワケでもなく、カップラーメンを夕方に一つ食べ、0時や1時に帰った家で遅い晩ご飯を結構な量食べる。いけないんだろうなこうゆうの。カップラーメンは二日続けて食べるともうイヤになる。買って、最初の一口までが一番楽しいね。今思い出しただけでなんかベロがマヒしてくる。
ここ最近読んだまんがたち、『純潔のマリア(3)』『銀の匙(9)』『宇宙兄弟(22)』など、どれもこれも感動しっぱなし。シヤワセだなぁ。『純潔のマリア』はすごく大きなテーマのように見えて友情モノになったりやっぱり大きな話だったりして、前巻から通して読んだのだけど涙が止まらなかった。『銀の匙』は相変わらず出てくるみんながちゃんとしていて、中でも主人公が一番ちゃんとしていて、結構ありそうでないシチュエーションじゃないかな。前8巻は農家の借金の話を書いていてこれまた稀に見る傑作だったんだけども。恋愛がメインじゃない、何か目的のある学生モノってそれだけで大好物。『もやしもん』とか、古いけど『あどりぶシネ倶楽部』とか。
『宇宙兄弟』は『度胸星』に捧げられたという話を聴いたけど、真偽のほどは知らない。これも主人公が一番ちゃんとしているまんがだね。出てくる難題や課題に対してムッタが出す答えというか動きというか、それが毎回毎回普通にすごい。なんというかマンガのストーリー上で語られるようなものではなく、今朝の朝刊にトピックスで載っていてもおかしくないようなアイデア。が、22巻にもなってまだまだ出てくる。そして基本出てくる人が皆いいひと。というより、最初はイヤな人で出てくるんだけど、そのうちにその人のバックボーンが語られ、他から見て「イヤな人」に見えたのは何故なのか、その理由も分かるし、その理由をムッタやその他の人達がゆっくりと溶かしていく様子に、ぐぐっとくる。ストーリーの組み立て方も上手い。『あまちゃん』のような同じシーンの繰り返しでも、意味が分かるとまた全然違う見え方になる、みたいな。嗚呼職人技。
久しぶりに早く起きた日曜日で高山なおみさんの『明日もいち日、ぶじ日記』を読んで急に日記が書きたくなった次第。
仕事をしていて、文章が全然書けないことに本当に悲しくなるのだけど、特訓とか練習とかできないタイプなので、何か他の方法で少しでもましになる方法がないか探そうと思う。書けない、というだけで自分がこれまで重ねてきたものまでも軽くなってしまう(自分がそう感じる)のがとても悲しいから。
日々なんとか生きています。子供たちは相変わらずというか絶頂可愛いのだけどあまり会えません。